想像して祈る力!

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2011年3月11日は、日本人にとって、
長く忘れられない、大震災の日となりました。
社会の在り方や、個々人の生き方が問われた日から、
3年が過ぎて、僕らは何が変わったでしょうか。
いまだに26万7千人の避難者が、日本中にいて、
原発による放射能汚染では、家に帰る見通しもない。

福島県では、大きな被害を免れた地域でさえ、
被曝から逃れてきた人の受け入れで、大混乱して、
その業務に携わった人たちは、もう疲弊しています。
おおぜいの児童が亡くなった、大川小学校では、
検証委員会による、最終報告書を受けた上で、
納得できない気持ちを、提訴する形で表現しました。

東京ではあらためて、原発再稼働に反対する、
大規模なデモが行われ、原発の是非が問われる中、
政府は方針通り、原発再稼働へ向けて動き出します。
いくつもの町村を、壊滅させる被害を出した原発さえ、
政策の基本方針に沿って、動かす政府ですから、
辺野古への米軍基地移転も、強引にやるでしょう。

政府権力という、僕らにとって一番大きな力は、
それぞれの地域で、実際に住んでいる住民よりも、
遠くで利権を持つ人に、優先して便宜を図る。
目の前の問題よりも、自分たちの立場や指揮権、
個々人の物語よりも、より多くの利益や数値を重んじ、
人の心よりも、社会システムを優先して守るのです。

民主主義というものが、この国にも紹介されて、
今では日本は民主主義の国、と言うことになっている。
だけど実際は、多数決の暴力の方が蔓延って、
弱者や少数者は、敗北者として捨ておかれています。
義務と権利は、義務を果たさないと権利がないような、
その義務は誰のためのものか、本質が問われない。

3.11の大震災は、忘れられない災害ですが、
そこで揺り動かされたのは、大地ばかりではない。
僕らの生き方が、大きく揺り動かされたのであって、
新しい社会を作る、きっかけになるべきものだと思う。
悲惨な事実にだけ囚われるのではなく、お金勘定や、
数値で表されるものでさえなく、僕らを救うもの。

何度か死の淵を歩いたとき、僕を救ったのは、
僅かな喜びを希望とする、想像力だったのだと思う。
ときには一人の女性との、手が触れ合うだけの喜びや、
あるいは老人の一言に、繋がるものを見出す希望。
大きな理想や夢よりも、小さな愛や喜びの方が力は強く、
それを想像して祈ることで、生きる力を得たのです。