大切なことは

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1月2月の冬季は、ほとんど仕事もないので、
家族3人で行く、温泉三昧が続いています。
昭和の初め頃までは、農家の冬場は湯治と言って、
春から秋まで農作業をして、疲れた心身を癒すために、
湯治場という、長期滞在型の温泉施設がたくさんありました。
それが経済発展と共に、余裕がなくなったのか、
湯治場はなくなり、レジャー施設が増えたようです。

一ヶ月間くらいかけて、のんびりと温泉で過ごすのと、
2~3日に大金を掛けて、大騒ぎしてくるのと、
どちらが豊かなのか、皆さんはどう思うのでしょうか?
お金も使わずに、温泉でのんびりするのは貧しくて、
大金を使って遠くへ出掛け、忙しく動き回るのが豊かだとは、
僕はどうしても思えませんが、これが現代の価値感です。
より高く、より遠く、より早く、・・・なんて、
まるでオリンピックのような、慌ただしい価値感です。

お金を掛けた遊びをするには、お金が必要ですから、
時間を惜しんで、お金を稼ぐために働くしかないとすれば、
モモの寓話ではないけど、時間泥棒が活躍します。
お金を使ってお金を稼いで、時間を使って時間を稼いで、
そのために大量のお金と時間を使って、忙しい暮らしをして、
気が付けば、お金も時間も無くなっているとすれば・・・
僕らは自分が何を大切に暮らすのか、考える必要がある。

無自覚でいれば、誰だかの都合のいいように、
時間を惜しんで働いて、せっせとお金を稼いで使う、
お金に使われるような暮らしで、豊かになった気がします。
だけど本当に大切なことは何か?、と考えてみたならば、
限られた時間をどのように過ごすのか、お金のために過ごすのか、
それとも家族や友人や、親しい人との語らいに過ごすのか。
すでに能力のある人たちは、高額なお金よりも家族を選んで、
それがニュースにもなり、トレンディでもあるでしょう。

だけど日々の暮らしにも、お金が不足する生活なら、
否応なく時間を労働に当てて、働くしかないのでしょうか?
僕はそうとも思わないし、現実もそんなに単純ではない。
一番大切なのは何かがわかっていれば、最初からそのために、
直接的に時間や手間暇を掛ければ、それでいいのです。
たくさんお金を稼ぐことは出来なくても、なんとか暮らしながら、
自分が一番大切に思う、家族や仲間と時間を使うのです。

まったく働く必要がないとか、まったくお金はいらないとか、
そんな極端な話をしているのではなく、何を一番大切に、
自分の限られた時間や努力を掛けて、生きるのかと言うことです。
どんな価値感を持って暮らしても、楽なことばかりではなく、
苦しいことや辛いことは、必ず付いて回るのですから、
何を目指して苦労するか、価値感の問題は付いて回るのです。
だからこそ自分の生き方は、誰だかの価値感に任せたりせずに、
自分で考えて、自分を大切に苦労したいものだと思うのです。