信頼と選択へ向けて

イメージ 1
 
12月1日の世界エイズディーに合わせて、一週間遅れですが、
僕らは7日の午後に、Nプロ主催・LーKAT共催によって、
映画「アクトアップ(ACT UP)」の上映と、意見交換会を行いました。
僕はエイズのことは、あまりわかっていませんから、
今回は主に勉強のつもりで、上映のお手伝いをする参加です。

映画は初めて見るものでしたが、1987年に始まった市民運動
ニューヨークのレズビアン&ゲイ・コミュニティ・サービスセンターで
結成された「AIDS Coalition to Unleash Power(エイズ解放連合)」
の頭文字を取ったもので、とても共感できる内容の作品でした。
アメリカでエイズが爆発的に発症した、1980年代には、
様々な誤解と差別で、エイズ患者は悲惨な差別を受けていたのです。

社会の無知と冷淡と、非人道的な差別や政策によって虐げられた、
エイズ患者の死を賭した訴えは、ACT UPで急速に共感者を増やします。
特に社会的弱者であった、女性の差別撤回運動とも連携するようになると、
エネルギッシュな社会運動となって、ウオールストリートや、
米国医薬品局でのデモを成功させ、非暴力抵抗運動として広がります。
やがて多くの成果を得て、これが新しい市民活動の基本とります。

僕も何度かデモには参加しましたが、ただプラカードを持って街を歩き、
いわゆるシュプレヒコールに合わせて、声を出して終わりになる。
だけど映画の中で行われていたのは、デモはしっかり計画を立てて実行し、
どこでどんなデモをすれば、多くの人に知らせることが出来るか、
あるいはデモで非暴力を貫くには、どのようにすればいいかを練習して、
警官など権力の暴力的な罠に陥らない方法を、周到に学習しています。

こうした企画力が功を奏して、マスコミをうまく巻き込み、
多くの一般市民にも共感をしてもらえる、市民社会運動になっていく。
この映画はそうした一連の流れを、25年の歴史の中に描いていたのです。
つまりこの映画は、エイズの歴史的な映画ではあるのですが、
同時にデモやダイインなどによる、非暴力市民活動の歴史を見せて、
市民が社会を変革していく姿を描いた、市民運動の映画でもあるのです。

見終わったあと、富山でエイズ啓発活動をされている「LーKAT」で、
代表をされている堀元さんから、日本のエイズの現状などが話されました。
現在日本には2万人のエイズ患者がいて、1日に4人ずつ患者が増えており、
この人たちが生涯に掛かる医療費は、ひとり1億円とも聞きました。
僕らはエイズとどう向き合えばいいのか、改めて考えると共に、
放射能による被曝と同じ、医療抜きには生きられない時代を考えました。

エイズも被曝も、何年もの潜伏期間を経て発病するのですが、
HIVに感染すると同時に、あるいは被曝すると同時に医療が必要になり、
生涯にわたって、医療抜きには生きていけない命の時代になったのです。
その医療費がひとり1億円と聞けば、未来社会は医療費が莫大に膨らんで、
僕らはその医療費を賄うためにも、経済拡大を続けるしかないのか?
そんな悲観的な展望も出てきますが、それは間違った発想でもあります。

意見交流の中で、学生時代にエイズの啓蒙活動をしていたという、
今回は小さな子ども連れで参加された、若いお母さんから、
エイズはコミュニケーションの問題だ」と言うのがありました。
その通りであり、このコミュニケーションの問題を起こしているのが、
過剰な情報とお金経済ではないか、と言うのが僕の見方でもあるのです。
新しい時代をどの方向に向けるのか、考える必要があるでしょう。