姫ブレイク♪

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このところ、福島原発放射能漏れや避難民の切り捨て、
被害の隠蔽や秘密保護法など、暗いニュースが多いようです。
沖縄では相変わらず、自民党の国会議員は公約を反故にし、
辺野古への基地移転を容認して、オスプレイが飛び回る。
もちろん日米地位協定はそのまま、戦後の不平等は何一つ改善せず、
ただ言葉面だけが耳に心地よい、アベノ独裁が驀進しています。

だけどいつものことですが、国民は選挙で自民党の議員を選び、
自民党議員は当選すれば、平気で何でも反故にしてしまう。
実のところ多くの国民は、マスメディアによる偏向情報によって、
経済成長こそが幸せになる道だと思っているから、騙されやすくて、
福島の問題さえ、政府が予算を出せば解決すると思っています。
だけどこのお金こそ、原発を初めとする多くの問題を起こす原因で、
僕らは経済信仰を捨て、何が大切かを考え直す必要があるのです。

先日はNプロカフェがありまして、現在の経済学を話し合い、
経済優先の考え方を変える必要と共に、政治経済の問題を、
専門家やマスコミに任せず、自分たちで考える必要を確認しました。
「難しいことをわかりやすく」話し合うことが出来なければ、
僕らはいつになっても、騙そうとする人から逃れることは出来ません。
政治も経済も社会制度も、専門家の利権にしておくのではなく、
誰でもあたりまえに参加して、協働共生していくことが必要です。

ごくあたりまえの毎日に、食事の話題のように政治の話をして、
必要に合わせて働くことが、そのまんま経済活動になっていく社会。
身の回りの生命を大切にして、自然に近しい生活をすることによって、
人に優しい環境が育てられ、それが暮らしを安心安全にする、
生き方そのものが社会を作り、誰も切り捨てられることのない社会。
そんな社会を目指して市民活動を続け、協働のまちづくりをしていけば、
いつか必ず本当の民主主義が実現し、差別社会は無くなるでしょう。

それは夢のようなもので、いつになるかはわからないとしても、
例えば経済学が無限理論の上に成り立ち、現実を動かしているように、
人間は夢によって、現実の社会を作っていくものだと知ればいいのです。
だからこそ、どのような夢を持つかが決定的に重要なのですから、
それがいかに現実離れした理想であろうとも、大切にする必要がある。
人はどうあるべきか、自分はどう生きるべきかを真剣に考えて、
その考えに従った生き方をすることが、真の幸せに繋がるのです。

政治家や学者や経済界の人たちは、最初の哲学を間違えているから、
いくら階段を上り詰めても、自らの内なる理想に近づけません。
内なる理想を外に求め、お金の高によって計ることしか知らないから、
どこかで道を踏み間違えても、何を踏み間違えたかもわからないのです。
もとより、政治家や経済的成功を収めた人がすべて間違いではなく、
目指すところを間違えれば、どんな成功も害の方が大きいと言うことで、
その意味で僕らはいつだって、まず自分を見詰めていなくてはなりません。

今日の写真は、先日女神湖へいったときに撮った姫の写真ですが、
僕は子育てをするとき、いつも学ばせてもらっていることがあります。
合理的な考えで接していると、次々に不満や間違いに気付きますが、
むしろ非合理的な活動の中にこそ、その人の表現があるので、
合理性を忘れて戯れるときに、心が通ぢて幸せを感じることが出来る。
この幸せをそのまま大人社会には出来ませんが、どんな合理性も、
実は非合理な個性を遊ぶための材料と思えば、世界は違ってくるのです。

小鳥や小魚と戯れたり、季節の木の葉や風の感触を楽しんだり、
心のままに色や形を並べたり作ったり、様々な音色にうっとりしたり、
その喜びの中にこそ、人間として学ぶことの総てがありそうに思うのです。
姫のこの笑顔を得るには、日々何をしなければ行けないかと考えて、
衣食住を賄うことは必要ですが、それは小さくて少ない方が豊かであり、
そこに神の領域が増えて、真の幸せへの道がひらけるのです。