現代経済学を知っておく

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現代の拡大を前提とした経済学が、少なくとも現実の経済政策を見る限り、
ほとんど破綻しているように見える中で、例えば「脱成長」と言ったキーワードで、
新しい時代の経済学が模索されていますが、全容を把握することは素人には難しそうです。
経済界などは大きなリスクを冒しても、経済成長を至上命題のように信じていますし、
実際に政治を担う人たちも経済優先の考えで、雇用の創設を政治課題としているうえに、
新聞テレビの論説を見ていても、いかに経済を成長させるかの議論しか無さそうです。

だけど多くの新しい考えを見渡してみると、こうした経済の成長戦略に対して、
批判的な論調が増えているのも事実で、僕らはどうしてもそちらの方に関心が行く。
そこであらためて誰かと経済の話をしようとすると、特に現実の問題を背負っている人は、
あたりまえのように経済成長論を前提として考えているので、話がうまく進みません。
経済学の研究者でない僕らは、経済学全体の流れでどのような位置にある話なのか見えないと、
双方の話を噛み合わせながら先へ進むことが、難しいという現実があるのです。

そんなもどかしい思いでいたところに、現在経済学の全容を簡潔にまとめ、
素人でもわかりやすいように書かれたレジュメを見つけたので、今後の参考にしたいと思い、
レジュメをまとめられた、日本危機管理学会監事の原優治さんの了解を得てご紹介します。
原さんは21世紀経営創造コンファレンス代表世話人議長でもあり、このレジュメは、
実際に経営コンファレンス(10/28)で使われたものだそうで、このような貴重なものを、
快く転載の許可を与えてくださった原さんに、心より感謝してお礼を申し上げます。

僕は個人的には、「D. 現代における新自由主義経済学の可能性とその展望」から、
脱成長の経済学へ向かうのが、人類の未来を開く考え方になるように思っていますが、
そうした話を展開するにしても必要なのが、現状の共通理解だと考えています。
このレジュメはその点で、わかりやすくまとめられていると思いますので、
今後現在の経済学を話すときは、この内容を前提に進めたいと考えているのです。
それでは以下に転載しておきますので、関心のある方は見ておいてください。

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演題 『現在、米国や日本において現代経済学の支配的潮流をなすといわれ
     る新自由主義経済学の思想的背景と経済学体系の由来を明らかにした
     うえでそれに基づく主要な経済政策上の命題を検証する 』
    ----新自由主義経済学の哲学的思想的背景とその可能性について
                             報告者 原 優治

A.新自由主義経済学の源流
  1.本流をなす新古典派経済学から分岐したものと考えられるがその経緯と
    特徴について    
   ----まず、古典派経済学と新古典派経済学を分岐するものとはなにか
     その最大のものは、後者が前者の労働価値説を放棄し、限界効用価
     値説に依拠して、経済現象としての市場分析へ力点と出発点とをうつし
     たところにある。         
   ----新自由主義経済学は、新古典派経済学の経済学体系を共有する。
     新自由主義経済学は、新古典派経済学の経済的自由を極端に主張
     するところに特徴がある(フリードマンは、新自由主義者は、古典的自
     由主義者と区別されて、自由至上主義者<=リバタリアン>であると明言
     している)
   ----新自由主義経済学が新古典派経済学から、まさにその鬼っ子として分岐し、
     その活躍の舞台を見出したのは、 ケインズ経済学によって主導された大きな政     
     府による修正資本主義に基づく福祉国家の路線が、スタグフレーションや財政
     破綻等によって失敗が明らかにされた時からである。すなわち、1970年代末
      から1980年代初頭にかけてである。 サッチャ ー(英、1979)、
         レーガン(米、1981)と相次いで国家の政治を牛耳る首班となった彼等の
         経済政策のバイブルの役割を果たし始めた時からである。
   ----さらに最近では世界をおおう、米国発の、国際的な金融資本によって
     先導されているといわれる世界経済のますますのグローバリゼーショ
     ンの進展を正当化するための理論的バイブルとなっている。   

  2.創成期における3人の主導的研究者の論説について
     ① ハイエク(F.A..Hayek,1899-1992)
      ----人間の理性には限界があることを自覚して、デカルト以来のエリ
        ートによる「設計主義的合理主義」を否定し、政府の経済過程へ
        の介入を極度度に嫌い、「進化論的合理主義」としての、社会に
        おける「自生的秩序(spontaneous order )」の生成を説き、これを
        妨げないないようにと訴えた。
      ---- ハイエクは、自由社会は、「法の支配(rule of law )」と「市場経済」                  
        の二大原則に依拠していると説いている。
      ② フリードマン(M.Friedman,1912-2006)
      ---- マネタリズムを主唱して裁量的なケインズ的総需要管理の経済
         政策をを大々的に批判し、新自由主義(Neo liberalism )の旗手
         となった。経済政策における金融政策の重要性を主張した。
      ---- 大恐慌は、ケインズの言うように、市場の失敗による有効需要
         不足にあったのではなく、当時の不適切な金融引き締めという
         裁量的金融政策の失敗にあるとしたのである。
      ---- フリードマンによって提唱された重要な理論としては、
        「恒常所得仮説」と「自然 失業率仮説」とがある。前者は、消費は
         現在の所得の関数にではなく、将来に亘って恒常的に得られると
         期待される所得(=恒常所得)の関数であるとするもので,ケインズ
         のいわゆる一般理論における「限界消費性向」概念を援用する消費関数
         の考え方を批判したものである。
                    後者は、長期的に見れば、景気の動きとは無関係に構造的に存在
         すると想定される一定の失業率のことである。何故なら、長期にあっ
         ては、予想インフレ率と現実のインフレ率とが一致するように実質
         賃金によって労働力需給の調整が完全に達成されると考えられる
                  からだという。この考え方はフリードマンの後継者の合理的期待
         形成を経済分析の重要なファクターと考える先がけをなしている。
     ---- マネタリズムの考え方は、上記の「自然失業率仮説」に見られる
           ように、徐々にR.ルーカスなどの合理的期待形成の仮説(rational
                  expectation hypothesis )を奉ずる合理的期待学派へ引き継が
                  れれていくこととなる。  
          ③ ブキャナン(J.M.Buchanan,1919-2013)
          ----  ケインズ的財政政策が、もっぱら国家財政の悪化という深刻な帰結
          に至ることに着目して、実証的に判断して、政治家や政府は常に
        公共事業の活発化などの人気取りのばらまき政策へ走りがちであり、
        また有権者である大衆もそれによる税負担には無頓着であることを
        指摘して、立論の出発点として いる。
      ---- これらの悪弊を破却するためには、新自由主義の立場にたって、
         これまでの財政政策を根本的に変革するべく、選択や意思決定の
        ルールを見直して、新しい公共選択の基準を確立したとされる。
      ---- これらの貢献によって、経済学の分野を超えて、財政学や政治過程
                論の分野において一大パラダイムシフトを起こしたとされている。
        
  3. 新自由主義経済学の概括的特徴
     a.個人主義自由至上主義進歩主義市場経済への過度の信頼
     b.「社会主義」(マルクス主義)への批判
     c.「大きな政府」(ケインズ主義)への批判
 
 B. 新自由主義の本質とその意義およびその限界について
     1.社会主義批判およびケインズ主義批判とその限界
     2. 福祉国家および平等主義批判とその限界
     3.民主主義批判とその限界
     ----ハイエクの依拠する自然法学とは何か。
       自然法は実定法と対比されるが、現在では、ほとんどの法学者は
       法実証主義の立場にたって実定法を研究対象としている。 その
       研究姿勢は、法の規範的意味内容を明らかにする法解釈学である。
      
       このような全般的な社会的な風潮のなかにあって、自然法学派を
       奉じたハイエクは、自然法の基盤にある超法的原理を信じていた
       からだといわれている。これは、先に述べたように、理性の力に限界
       を見出していたからであろう。彼の著作のなかの一節に彼の基調と
        なる精神的ありようが示されている。「・・・人間の理性の固有の力に
              求めるか、それとも神霊の導きに求めるか・・・」(ハイエク
              ”The Constitution of liberty",1960 ;邦訳 気賀健三ほか訳
       『自由の条件』、春秋社、1986-1987)
           
       ----教条化した民主主義における多数の横暴と
         利益誘導される政治の歪み
        これはブキャナンがさんざん苦労を極めた末の立論に見られるし、
        また安易な多数決主義を戒めるフリードマンの見解にも見られる。

 C. 現代における新自由主義経済学に対する批判
     1.市場経済ははたして効果的・効率的・安定的か
        ----市場万能論のいきすぎの反省へ
     2.市場の失敗の総点検とその対処方法について
       市場とは、アダム・スミスが神の見えざる手(invisible hand)と例えたよう
         に、需給のバランスを効果的・効率的に調整し、資源の最適配分がおこ
     なわれるシステムと考えられている。ところが、これは「完全競争市場」と
     いう定義された概念によって仮定された市場に由っていることを忘れて
     はならない。現実には次のような市場の失敗をひき起こしている。
       
     ----過度な景気変動をひきおこす
     ----情報の非対称性が発生する
     ----放っておくと、かならず寡占・独占状態が形成され資源の効果的
            ・効率的な配分が阻害される。
    ---- 市場を介して提供されるものでないところの公共財が不足する
     ---- 外部効果(外部経済と外部不経済として)とくに問題となるのは、
       外部不経済としての公害問題等が発生することにある。
     ---- 分配上の過度な不平等が発生する
   これらの市場の失敗を克服するためには、どんな対処方法が考えられるか
 
   3.進歩主義に対する新保守主義ネオコン)からの批判
      ----アービング・クリストル(I.Kristol、1920-)のフリードマンへの批判
     「 資本主義の精神的主柱はあるのか、フリードマン市民社会論には 
     市民的な徳(virtue)の観念が不足しているのではないか」
    (I. Kristol "Capitalism,Socialism and Nihilism,"1973 ; 邦訳 朱良甲一
     訳『活路』、叢文社, 1980 )
        ----  クリストルが、自由な資本主義の敵としてニヒリズムを挙げているのが
       注目される。クリストルは、このニヒリズムの潮流へ悪乗りした新自由
       主義者が、金儲けの機会の多い商売のチャンスととらえていることへ
       警鐘を鳴らしているのが,昨今の社会的倫理感を喪失している新
              自由主義者の跳梁跋扈を思うとき、胸を打たれる想いに駆られる。
       クリストルがいみじくも示唆したように、今や、現在の新自由主義者
        は、無政府主義者の様相を帯びており、お金へ己の魂を売り飛ばした
       社会的ニヒリストへ変質
してしまったのかもしれない。

 D. 現代における新自由主義経済学の可能性とその展望
まずは,さまざまな自由のあり方が考えられるべきであり,これらが十分に
比較検討されなければならない。次にあるべき自由のあり方を阻害する
さまざまな要因を取り除かれなければならない。
最後に、人類全体を包摂・統合しうるような自由のあり方が追求されなければな
らない
.果たして現在の新自由主義経済学は、これらの試練にたえられる
であろうか。答えはいまのところ、はっきりと”No"と言われてしまうだろう。
 
   1.自由の概念の再構築から見えてくるもとは何か
    ---- J.S.ミルなどに見られた古典的自由主義を超克しようした
      ジョン・ロールズの『正議論』(”A Theory of Justice”, 1971)にみられる
      考え方が重要である。ロールズの考え方は、二つの原理と三つの要点
      によって構成される。簡略に要約して云えば、第一原理の要点は
      は、基本的諸自由を全員へ平等に配分することであり、
      第二原理は、機会均等原理(特に出発点における機会均等が顧慮される
      べきである)と格差改善原理(特に最も格差がはげしく恵まれていない人達
      への格差改善から着手するべきである)との二つの要点から成る。
      
      ---- ハイエクフリードマン自由至上主義リバタリアニズム)の
           立場にたつが、盲点はないだろうか。もしあるとすれば、克服されて
           いるだろうか。
   ---- ジョン・ロールズの『正議論』にみられる古典的自由を克服する二つの
      原理と三つの要点は、また新自由主義者の陥っている短所をも適格に
      突いており、もし人類を包摂・統合しうる考え方へもっていきたいのであ
           れば,臆することなくこの三要点の実現を真剣に考慮しなければならない
   ----  このところ注目を集めているマイケル・サンデルは、上記のジョン・ロー
      ルズの 正議論を摂取したうえで、更にそれを批判的に乗り越えて新しい
      コミュニタリアニズム共同体主義)のあり方を説いている。
集団個別
      主義/集団至上主義的なあり方を主張して、現在、ドイツでは実際的な
      影響を及ぼしてきており、さまざまな反響をよんでいる。なお、そのなか
      で,サンデルは、共同体ににおける個々人の価値の相対性を認めつつも
      共通善の存在を強調しているのが注目される。
ある意味、自由な個人
      主義の対極にあると考えられた共同体の新しいあり方を、新自由主義者
           も深く学ぶべきである。

   2.自由な経済活動を阻害する規制の撤廃へ向けて
   3.創造的市場をめざす自由な市場の再設計へ向けて
   4.新自由主義経済学によって人類を包摂する「共生の思想に基づく新し
     い共同体」は可能か
    ----古典的自由主義と、「正議論」に基づく新しい自由主義と、さらにそれを
      踏まえた新しい共同体主義とをふまえて,新自由主義弁証法的な新し
      いあり方を打ち出せないかぎり、上記の課題達成はまず不可能であろう。
                                   以上
 
※ 文字色が赤い場所は、イソップが勝手に着色しました。