人生死を想う

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フィリピンで支援された孤児たち
 
市民活動で親しくなった女性が、末期ガンで入院されました。
今年は7月の若杉さん講演会でお会いして、そのときは元気でしたから、
俄には信じがたい話でしたが、膵臓ガンと聞いて納得しました。
僕は2年前に、何かとお世話になった人が膵臓ガンで亡くなっており、
そのときの様子から、膵臓ガンがどれほど危険な病気であるかを、
かなり詳しく知ったことが、思い出されてしまったのです。

昨日は雨が降り続いて、農作業も何も出来ない日でしたから、
富山市民病院までお見舞いに行って、しばらく話をして来ました。
すでに本人は治療をしないと決めて、ケア病棟に入っており、
その感覚はわからないでもなかったので、ともかく行ってみたのです。
ケア病棟の3階へ行って、受付で彼女の名前を言うと、
本人の状態と希望を伺いに行った看護婦が、すぐに戻って、
長時間にならないようにと言って、部屋を案内してくれました。

質素で清潔なこぢんまりとした、一人用の個室でしたが、
彼女は落ちくぼんでいながら、力のある目をこらしていました。
看護婦にどうぞと勧められた椅子に腰掛け、看護婦が出ていくと、
僕らは妙に落ちついた様子で、お互いの来し方を話し始めたのです。
お互いにアメリカで暮らした経験がありながら、日本の良さを知って、
何か人々の役に立つような暮らしがしたい、と想って生きたこと。

僕は富山に戻って、9.11事件をきっかけに自然農を始めましたが、
彼女はそれ以前から、「フィリピンの孤児を考える会」を立ち上げて、
ルソン島ラグーナ州サンパブロ市の、小学校の分教場の識字と
栄養支援も含めて、実践的な市民活動を始めていたのです。
その後「社会的引きこもり家族自助会とやま大地の会」も立ち上げ、
この二つの会で代表を務めながら、自ら山の暮らしも始められています。
僕は別の山暮らしをする友人を訪ねるうちに、親しくなったのです。

それから何年ものあいだには、僕の友人も彼女のお世話になり、
僕らは一緒に何かしたわけではないけど、信頼関係が出来ていました。
そして僕に姫が出来たときにも、とても喜んでくれて、
若杉さん講演会で姫と会ったときも、いろんな話をしたのです。
三ヶ月後の先週末に、彼女が膵臓ガンだと知らされて驚いてしまい、
少し気持ちを落ち着けて今日、ようやくお見舞いに行ってみたのです。

ほんの10分程度でしたが、それさえも最後は辛そうでしたので、
あまり余計なことは言わずに、別れを告げてお暇しました。
お互いの人生を話して、悔いなくやりたいことをやって生きたこと、
僕は彼女から、人間を信頼することの大切さを教わった気がしますし、
彼女は僕に、生きることのダイナミズムを見たのかも知れません。
僕は姫を得たことで、何度目かの人生を生き始めたのですが、
時を前後して、彼女は人生を顧みながら総括し始めていたのです。

「ありがとう」と感謝の言葉を残して、彼女は病室のドアを閉じました。
それはお見舞いに行ったことへの感謝ではなく、こうして知り合えたこと、
同じような価値感を持って、だけどそれぞれの人生を生きて、
何を誤魔化すことなく正直に、やりたいことだけをやって生きた、
そんな“生命”の出会いに対する、感謝の言葉だった気がしたのです。
神から授かった生命をいかに活かすか、彼女はそれをやり遂げたのです。