切り捨てられる人たち

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2020年のオリンピックが、東京に決まり、
東京都や経済界、マスコミは大喜びをしています。
僕は喜んで良いのかどうか、慎重に考えたのですが、
安倍首相の「安全宣言」は、やっぱりあまりにも危うい。
放射能は、完全にコントロールできているだなんて、
福島の地下水にまで、放射能漏れが発覚しているときに、
どうしてそんなことが平気で言えるのか、神経を疑います。

オリンピックを東京で開きたい一心で、言ったのでしょうが、
福島の避難民たちは、この発言をどう思って聞いたのか?
何百億だかの対策費を出したから、これで大丈夫だなんて、
すべての不都合を、お金で解決させてきた政治家らしい、
無神経で人の心を持たない、金銭経済原理主義者の言葉です。
安倍政権は沖縄の人たちを切り捨てて、アメリカを優遇し、
今度はまた福島避難民を切り捨てて、経済界を優先したのです。

こうした弱い立場の人たちは、政治に救いを求めても、
例えば福島で、難民を出している多くの自治体では、
議会は相変わらず、原発を必要とする議員で占められている。
首長の判断では、もう原発にはこりごりだと言っていても、
議会は再稼働を求め、増設さえ求めていたりするのです。
どうしてこんなことになるのか、一概には言えないとしても、
議員だって金銭経済主義者だと考えれば、わかる気もするのです。

そして地域から若者はいなくなり、将来に希望を失えば、
頼れるのはお金しかないことになり、原発はなくなりません。
原発とは守銭奴のアイドルであり、金銭経済原理主義の金字塔で、
そう簡単には無くならないし、多くの人を喰い物にするのです。
高度に進んだ管理国家の日本では、多数決こそが民主主義となって、
勝てば官軍の言葉通り、少数者は黙って苦い汁を飲むのです。
社会をよくするより、人を蹴落としても自分は楽な暮らしをしたい!

そんな人ばかりではないでしょうが、少なくとも政府のやり方は、
弱者を切り捨てながら、金銭経済成長を目指してきたのです。
そこで少数者である僕らは、どうやってこの困難な状況を克服するか、
考えつめていけば、「問題を起こさない生き方」が大切であり、
地方自治によって、弱者を切り捨てない施策が必要になるのです。
切り捨て御免!の政府とは違い、誰も切り捨てることなく、
助け合って生きる民主主義を育てることが、目標になるでしょう。