「日本の心」

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図書館の新着本を見ていたら、面白そうな本を見つけました。
明治20年代に、富山で英語教育に携わったC・L・ブラウネルが、
当時の富山県を中心とした、北陸の人々の様子を書いた文章を、
高成玲子さんが日本語に訳して、富山八雲会が編集した「日本の心」です。
副題に「アメリカ青年が見た明治の日本」とあるとおり、
ブラウネルという人が、いくらか面白おかしく脚色しながら、
江戸幕府から明治政府の時代へ、大きく変化した日本の様子を描いています。

中でも北陸の様子は、当時既に失われつつあった古い日本があるとして、
彼自身が愛着を持って描いているので、読んでいても楽しめる内容なのです。
明治21年と言いますから、125年前にアメリカの若者が見た日本は、
すでにまったく当時のことがわからない、僕らのような読者を、
ある種のワンダーランドに連れ込み、思わず夢中になるお話しが満載でした。
記録と言うよりは、短編小説のような書き方で描写しているのですが、
それが彼の見たままであるから、今の僕らが読んで面白く感じるのでしょう。

最初に出てくる「太郎兵衛とお祈りポンプ」は、警句的な短編小説で、
信心深い北陸の土壌に相応しい、成功する人としない人が描かれていますが、
今読んでみても、なるほどそんなこともありそうに思えてきます。
また「お風呂」の話や「従順なベッド」では、日本人にはあたりまえのことが、
アメリカの青年にはよほど奇妙で、面白かったことが伝わってくるのです。
「ツケと破綻」に至っては、当時の人々がお金に関わることを嫌い、
なんでもツケで済ませて、後でそれを支払うやり方に戸惑う様子が見て取れます。

「帰ろうとしない客」では、客人を大切にする様子が描かれているし、
「幼稚園の時代」とは当時の日本を皮肉って、面白おかしく揶揄している。
これらの短編はどれも興味深く面白く、特に僕らのように富山県人には、
明治20年頃の富山県内の様子が、これほど描かれた文章はないと思うので、
そうした観点からだけでも、一読してみる価値は高いと思うのです。
また富山県に限らず、当時まだ当たり前だった芸者文化がどんなものだったのか、
日本人による否定的な感じではない、明るく褒め称えているのも印象的です。

僕は今では、男女平等を当たり前のこととして普及すべきと思っていますが、
当時の感覚では、むしろ男と女はまったく違う世界に生きていたようで、
本物の「お嬢さま」がどんなものだったかも、読んでいるとうかがい知れます。
今では否定的な「女大学」も、当時は大切な道徳規範として生きており、
お金を卑しむ感覚などは、どうして失われてしまったのか残念です。
すでに高成玲子さんは故人ですが、彼女の死後にこうした本が出版され、
僕ら多くの人を楽しませてくれるのも、不思議な縁というものでしょうか。

また読み終えて一番残念に思うのが、当時から現代への時間感覚の変化で、
ブラウネルは当時の北陸を、時がゆっくり過ぎていくと描いていますが、
今では北陸もやたらせわしくて忙しいし、働いてばかりいる感じがするのです。
今よりも125年前の方が、豊かだったとは思わないのですが、
お金に無頓着で、信用こそ大切にする、当時の当たり前がうらやましい。
この本を読んでいると、僕らが失ったものが何だったかが見えてきて、
これからどんな時代を望むのか、あらためて考えずにはいられなくなるのです。