金融(お金)経済原理主義の国

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日本の常識は世界の非常識!とは、言い古された言葉ですが、
この国で新聞テレビを見ている限り、とんでもないと言われる言動が、
諸外国から見れば、思わぬ高い評価を受けていたりするようです。
同じようにこの国の新聞テレビで、あたりまえのように言われることが、
余所の国から見れば、奇妙なことだと思われるのは何故か?

まずは1000兆円の借金を抱えながら、財政健全化も出来ないで、
国を滅ぼしかねない原発事故にも、原発を止めようとせずに、
次々に国費を注ぎ込みながら、利権企業を守り通すのは何故なのか?
世界で唯一の被爆国と言いながら、すすんでさらなる被曝を進め、
それどころか海外にまで、この危険な技術を広めようとするのは何故か?

膨大な思いやり予算まで作って、治外法権の米軍を沖縄に居座らせ、
それを出ていってもらおうとする政治家は、孤軍奮闘して蹴落とされ、
平気で嘘をつく政治家が、堂々と当選を続けるのはどうしてか?
このわけのわからない政治を、諸外国の人はどう見ているのかを考えると、
自ずと見えてくるのが、どこまでも経済利益しか考えない人たちです。

日本では世界の様々な問題を、イスラム原理主義やキリスト原理主義の人が、
自分たちの価値感による狭い視野で、他の価値感をかえりみないままに、
暴力を含む極端な方法で解決を図るから、問題が解決しないと言われます。
それでは日本はどうかと見れば、この国は経済原理でしか物事を判断しない、
いわゆる経済原理主義の人たちが、圧倒的に多い国なのです。

多様化する日々の諸問題を、お金さえあれば解決できるかの如く、
景気対策や経済浮揚策を掲げることで、政治家は票を集めることができる。
世界の明日を考えるような政治家は、役に立たない政治家と思われて、
票を集めることは出来ないし、実際に信用されることさえ難しいのです。
この事実は、若い人の投票率が上がってもそう変わらない気もします。

政府と日銀が一体になって、市場に大量のお金をばらまいたことで、
しばらくは株価が上がり、所得も微増するかも知れませんが、
それ以上にお金の価値は下がり、貧富の差は拡大していきます。
それでも経済原理主義者たちは、お金経済さえ拡大すれば問題が解決する、
と考えるのですから、問題は形を変えながら広がっていくでしょう。

しかしながら希望はないわけではなく、地方の自治体が進む方向を見ると、
いわゆる“協働”によるまちづくりを始めとして、政府の言いなりにならない、
市民が自主的に政治を担おうとする、市民のための政治が始まっています。
この流れこそ世界潮流で、脱成長による新しい経済学の流れでもあり、
世界市民意識の萌芽とも言える、新しい市民感覚の世界常識となるでしょう。