フランシスコ教皇

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ローマ教皇と言うものが、どんなものなのかは、
僕はキリスト教の信者でもないし、よくわかっていません。
それでも今年の3月に、コンクラーヴェにおいて選出された、
新しい教皇である、フランシスコ教皇に関しては、
伝え聞く行動や言葉から、とても好感を感じています。

今は久しぶりの報道で、教皇選出後初めての海外訪問として、
ブラジルを訪れているニュースを、見たところですが、
空港からの移動に黒塗りの高級車ではなく、ミニバンを利用し、
警備の制止を振り切って、駆け寄る市民と握手していると報じています。
そしてオープンカーに乗って、手を振る姿が紹介されているのです。

教皇は自らの発言でも、
「聖職者や修道女が新型の車を乗っているのを見ると心が痛む。
 新しい車は幸福の元ではありません。聖務に贅沢な車はいりません。
 質素な車を買いなさい。珍しいものが好きだというなら、
 いま世界でどれだけの人が餓死しているかを考えなさい」
と言っており、その実生活も質素だったと伝え聞きます。

常に贅沢を戒め、信者と同じバスに乗って、街を歩き、
人々と一緒になって貧困について語る、親しみやすい庶民派、
本名、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ(Jorge Mario Bergoglio)は、
2013年3月13日に、圧倒的多数の指示を受けて教皇に選ばれたのです。
この事件とも言うべき出来事は、日本ではさほど騒がれず、
ごく普通の新教皇誕生のニュースとして、報道されただけでした。

しかしながらキリスト教文化圏の、世界中の多くの国々では、
この新しい教皇誕生の意味を、世界の価値感の転換ととらえて、
ドイツでは、「段ボールで寝る浮浪者は、これまでとは違う意味を持つ」
とさえ報道され、貧しい人々に対する神の祝福を復活させるのです。
アルゼンチンという、貧困、自然破壊、幼児虐待が横行する国から出て、
イエズス会聖フランシスコ霊性に価値を置くことが、何を意味するのか、
これから教皇の発言と行動を、興味を持って見守りたいと思います。

「私は貧しい人々による貧しい人々のための教会を望む」と発言し、
自らそのように生きて、世界中の人々から愛される教皇の誕生は、
今の世界が直面している問題の、ある側面を明確に批判します。
「キャリア主義はハンセン病だ」と彼が言うとき、金銭名誉に対する欲を、
真っ向から批判して、人の生き方の大切さを賛辞しているのです。
経済優先の世界で、そうでない価値を見直させて欲しいですね。
 
ーーー(7月25日 追記)ーーーーーーーーーーーーーーー
 この記事を書いた後、古い友人から連絡があって、
 「キャリア主義はハンセン病だ」の使い方が、おかしいのではないか?
 と言われ、自分なりに考えてみたところ、やっぱりおかしい気がしてきました。
 キャリア主義を批判するのであれば、ハンセン病も批判しているようですが、
 ハンセン病を毛嫌いして社会から追いだしたのは、誤解だったことがはっきりしています。
 すなわちハンセン病は、決して非難されるような病気ではなかったはずです。
 とすれば、キャリア主義を批判することも、誤解だと言いたいのでしょうか?
 どうも何か、間違った使われ方をされているような気がしているのです。
 
 カトリック教会の人は、この言葉をどう理解しているのか?
 誰かわかる人がいれば、教えていただきたいと思います。 
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