よいやさ神輿
今から175年前の、天保4年と言いますから、
まだ天保の大飢饉も起きる前の、穏やかな時代に、
神輿渡御を契機に始まった、「よいやさ祭り」です。
当時の詳しい様子までは、わからないのですが、
今は1トンを超える3基の神輿と、3基の子ども神輿が、
毎年5月3日に、越中井波の町中を練り歩きます。
まだ天保の大飢饉も起きる前の、穏やかな時代に、
神輿渡御を契機に始まった、「よいやさ祭り」です。
当時の詳しい様子までは、わからないのですが、
今は1トンを超える3基の神輿と、3基の子ども神輿が、
毎年5月3日に、越中井波の町中を練り歩きます。
よいやさ祭りは、この壮大な神輿の他にも、
獅子舞や屋台があって、町は賑わうのですが、
一番の催しは、やはり神輿と言うことになるでしょう。
「よいやさ祭り」の名前は、この神輿を担ぐ時に、
「ヨイヤサ!、ヨイヤサ!」と掛け声を掛けるので、
そこから来ていると、考えられるからです。
町には主に祭りを取り仕切る、宮委員があって、
一年を掛けて、翌年の祭りの準備をしてきています。
僕はまだやったことはありませんが、住民である限り、
やがて順番が回ってくる、持ち番性のお役目です。
しかし今年、この神輿の担ぎ手に関して話を聞いて、
なんだか疑問に、思わないこともありません。
なにしろ1トンを超す、大きな神輿ですから、
そう簡単に、だれでも担げるものではないのです。
そこで3基のうち、1番輿と3番輿の二つは、
担ぎ手のプロを雇って、全面的に担いでもらっており、
2番輿の一部にだけ、地元の担ぎ手が入っているとか。
昔からそんなことだったのかどうか、気になります。
主な担ぎ手が、ほとんど余所の人間だとすれば、
それで地域の伝統を守っていると、言えるのかどうか。
と言って現代では、獅子舞の担い手さえ足りないような、
いわゆる少子化の時代に、神輿の力者はいないのです。
だったらプロに任せてでも、神輿を継続して、
将来に残すのも、たしかに一つの手なのですが。
子ども神輿は、中学生が担いでいますが、
僕が子どもの頃は、神輿は男が担ぐものだったのに、
今では女子も同じように、神輿を担いで回ります。
3基の神輿を、手分けして担いでいますが、
これでさえ、十分な人手はないので四苦八苦して、
子ども神輿の宮委員が、手を貸さざるを得ないのです。
3基ある子ども神輿の、1基を高校生にすれば、
もう少しどうにかなるかと思えば、井波高校は無くなり、
町にはますます、若い人が少なくなっているのです。
それなら各地の高校に散らばっている、男子高校生を、
祭りの日に集めて、同窓会神輿なんてのはいかが?
受験でへなへなになった高校生には、ちょっと無理か?