所有しない時代へ
写真は、我が家の百科事典の一部ですが・・・
僕が子どもの頃に、憧れだった百科事典が、
90年代には、いつのまにか家に揃っていて、
それが今では厄介者で、始末に困っているのです。
小説本なども、同じ運命をたどっていますから、
今ではなるべく買わないで、図書館で借りて読みます。
僕が子どもの頃に、憧れだった百科事典が、
90年代には、いつのまにか家に揃っていて、
それが今では厄介者で、始末に困っているのです。
小説本なども、同じ運命をたどっていますから、
今ではなるべく買わないで、図書館で借りて読みます。
世の中には、お金が余っているのか、
本を次々に買いながら、ほとんど読まないで、
本棚の飾りになっている人も、いると聞いています。
僕はその逆で、買うお金に不自由するので、
なるべく買わずに、図書館で借りてきて、
あるいは献本システムを利用して、手に入れます。
献本システムで手に入れた本は、書評を書いて、
気に入った本は取っておくのですが、そうでない本は、
捨てるのも気が引けるし、売ることも出来ません。
新しい本のうちなら、買い手はいるのですが、
売ってはいけないシステムなので、売れないのです。
今どき売れるものは、売ってしまいたいのに、
売れないので、結局始末に困ってしまっています。
そして究極がこの百科事典で、調べものなら、
ネット上で検索すれば、何でも済んでしまうから、
こんな大量の本を持っている必要はないのです。
と言うか、本を使って調べるよりもネット検索の方が、
早くて豊富な情報を、簡単に見ることが出来ます。
もう本の時代ではないし、個人で所有する時代でもなく、
データはデジタルで、共有物になったのです。
かつて書籍は、文化的豊かさの指標だったのに、
今では厄介者で、次第にあらゆる“もの”が、
同じように、厄介者になる運命のように見えます。
衣類なども過剰にあるので、よほどお気に入り以外は、
自分のものである必要は、なくなっていますし、
めったに着ないようなものは、レンタルで済みます。
こうした生活様式や、生き方の延長を考えれば、
やがて食料や住居だって、個人の所有物ではなく、
みんなの共有物として、必要な人が必要な時に利用する。
これは決して新しい価値観ではなく、古くからあった、
地域における共有意識や、人の連帯感に通じており、
社会は新しい共有の時代に、向かうのかも知れません。