綿菓子のような雪でした

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2月も下旬の23日でしたが、天気予報を見れば、
まだ雪が続いて、記録的な積雪となった地もあるようです。
積雪量が5メートルを超える所で、人が暮らすって、
なんだか想像を絶しますが、報道写真を見ればそうでもない。
それはたぶん、人がそこで暮らしていることで除雪して、
もっとも最近の雪だけが、積もっているからなのでしょう。

僕らの南砺市井波地区でも、今朝からずっと雪でしたが、
昨日までの冷たい雪と違って、今日の雪は柔らかく、
ふわふわと綿菓子のように、ゆっくり落ちる雪でした。
これがもう少し大粒になれば、牡丹雪になって、
一つの雪の結晶が、2センチを超えるようになります。
そんな大きな結晶がいくつも集まって、落ちてくると、
落ちると言うよりは、降りてくる感じになってくるのです。

こうした大粒の雪は、春先に独特のものですから、
同じ雪が降ると言っても、見ていると春を肌身に感じます。
実際に外へ出てもそう寒くないし、大地に降りた後も、
ほとんど積もることもなく、すぐに消えて無くなります。
三島由紀夫が書いた、「春の雪」なんて小説を思い出しても、
人の命がけの恋や情熱が、淡雪のように消えていく、
そのはかなさが、人をして美しいと思わせるのでしょう。

人は人を必要としているから、求め合うのですが、
どのように求めるかは、それぞれの人によって違います。
赤ん坊と母親を見ていてさえ、心はしばしばすれ違うから、
様々な人生経験が全部違う大人であれば、違って当たり前で、
それでも必要だから求め合う、何かを共有するしかない。
理性でわかるのはそこまでですが、感情はと言えば、
さらにその先で、消えない思いに悶々としているのです。

アブノーマルを基本として、盲信を猛進する高校生が、
世界的に注目される時代ですが、彼の優れている点とは、
醒めることが出来ることではないか、と思っています。
まだ十数年しか生きていない人も、60年以上生きた人も、
どのように生きるかによってしか、分けられないなら、
どんな人も常に、人生の全部を生きているのかも知れません。
生き方を持つとは、そのようなことを言うのでしょう。

自分のabnormalを盲信し→猛進して→覚醒し→喜捨するように、
どんなときにも、自分がどのように生きればいいかを判断できる、
その一点にあるのかも知れない、と思ったりするのです。
春の雪の冷たさと、すぐに消えるはかなさのように、
だからどうだとは言えない、そのままの美しさを愛でる、
そんな潔さが、若い彼を人生の達人にさせたのかも知れません。