小さな命のメッセージ

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14日と言えばバレンタインデーの、午後4時45分頃に、
大阪府大東市で、小学校5年生の男児が電車に飛び込んで自殺した。
遺書と思われるメモには、「どうか一つのちいさな命とひきかえに、
とうはいごうを中止してください」と書いてあったとか。
日本中で子どもの数が減り、学校や幼稚園の統廃合が進んでいますが、
だからといって、学校や幼稚園の数を減らすことがいいのかどうか。

僕らの南砺市でも、経営の合理化を目的とした統廃合は進んで、
昔のように幼稚園や小中学校に、歩いていける子らは減っています。
経営の合理化ではなく、必要なのかどうかわからない設備の拡充でもなく、
もっと子どもの気持ちや成長に合わせて、考えることが出来れば、
これほど統廃合を進めなくても、小さな学校や幼稚園が生き残る道は、
いろいろあるように思うのですが、なぜみんな統廃合するのでしょうか?

こうした全国的な動きがある場合には、たいがい政府の方針があって、
統廃合をすれば予算をもらえるのに、やらないともらえなずに不利になる、
と言ったお金経済優先の選択が、働いていることが多いようですが。
まだ幼い子どもの時代には、小さな学校の方が世界が自分の身について、
気持ち的にも安定するだろうし、信頼関係も生まれるでしょう。
だけど毎日の生活から離れた、遠くの幼稚園や小中学校では、
日常生活と学校生活は分断されたものとなって、身に付きにくい。

それでも統廃合しなければ、やっていけないのだとしたら、
何か経済よりも基本的な所に問題が潜んでいて、それを解決しないと、
次々に様々な問題が出て、モグラ叩きになってしまう気がします。
その基本的な問題とは、子どもをどのように育てるのかと言ったことで、
子どもの命や自由を大切にして、その資質に合った教育をして欲しい。
だけど実際には、学校や教育委員会の都合が先立っているから、
子どもの命や気持ちなど、蔑ろにされてしまうのではないでしょうか。

今回自殺した5年生の男児は、同級生にアンケート調査をして、
全員が「とうはいごうがなくなってほしい」に賛成した、としています。
もちろん自殺した男児だって、統廃合されたくなかったわけですが、
こうした自殺に対して、両親と教育委員会から出たメッセージは、
「死んで何かを解決する風潮があってはいけない」
「死んで解決することは正しくない」と言うものでした。

なぜ男児は自殺にまで思い詰めてしまったのか、わかりませんが、
結果として起きた事実は、軽々しく一括りにしてしまわないで、
教育委員会の合理性とは別次元で、何が問題だったのかを考えて欲しい。
そうでないと男児は犬死にとなって、報われないと思うのです。
死を賭したから統廃合を中止せよというのではなく、もっと真摯に、
なぜ男児は自殺するまでに追い込まれたのか、考えて欲しいのです。