立春から

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歴には基本的に3種類あって、太陽を基準にしたものと、
月を基準にしたもの、そして気候を基準にしたものがあります。
現代人はそれらを組み合わせて、暦にしているわけですが、
僕が好きなのは、実際の気候に合わせた24節気によるものです。
いわゆる立春に始まって、大寒で終わる一年の循環であり、
大寒が終わって一年の循環が終わり、新しい立春が始まる直前、
この隙間に鬼が潜むので、節分では豆まきをするのです。

いわば一番寒い季節が終わり、暖かくなろうと気が緩む、
その隙間を突いて、人はすぐ病気になったりするものですから、
これを用心するために、節分という行事を考えたのかも知れません。
実際にこの時期は、体の弱っている人は特に注意が必要で、
僕の父はしばらく寝たきりだった後、立春の朝に亡くなりました。
あと一日もっていれば、そのまま新しい季節を迎えたかも、
なんて思うのは、人間のご都合というものでしょうか。

それでも立春を過ぎれば、やがて雨水となって雪は溶け、
啓蟄の頃にはさまざまな命が蠢いて、まもなく春分になります。
春爛漫の清明ともなればお祝いをして、作物の穀雨となる。
こんな具合に春が過ぎて、やがて立夏と共に夏が来れば、
小満芒種で田植えとなって、夏至には農作業も一段落です。
小暑大暑を凌いで乗り切れば、すぐに立秋となって、
処暑の頃までが夏休みとなり、白露を迎えれば秋の収穫です。

秋分の日を境に寒露あたりまで、忙しい毎日が続きますが、
だけどそれも霜降までで、まもなく寒い季節で立冬になるのです。
小雪の舞う季節から大雪の季節に、そしてまもなく冬至になり、
ここからは冬ごもりで、小寒大寒となっていくのです。
こんな風に一年を見るのが、自然に近しい感覚なのですが、
一年365日を12ヶ月に振り分けてみるのは、近年の感覚で、
これは官庁を中心とした、給料生活者の感覚でしかないでしょう。

月給というものを離れてみれば、人は自然界の一部として、
春の作付けから夏季を過ごし、秋の収穫から冬季を過ごすのです。
こうした自然界の営みの中で、人間も生活の糧を得て暮らし、
四季の移ろいを感じて、その季節毎に見せる色や香を愛でて過ごす。
平安時代の貴族の暮らしは、現代では誰でも味わえるのに、
やたら忙しく動き回って、お金の奴隷になる人も多そうです。
立春を過ぎれば雨水まで、寒さもあとしばらくの辛抱です。