IT社会への懸念

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最近の社会的な風潮を見ていると、急速なIT化に合わせて、
お金に余裕のある人は、新しいスマホタブレットを買っています。
その結果として、ソーシャルネットワークがあたりまえになり、
ツイッターフェイスブックが、社会の意見を牽引するかのようですが、
これには多くの問題があって、将来への懸念も拡大しています。

IT社会が進むことで、個人にどれほどのデメリットがあるのか、
なかなかわかりにくいようなので、企業のIT化における課題を見ると、
(1)セキュリティの確保、(2)投資効果、(3)クラウドへの親和性、
と出てきますので、まずこれを個人のIT化で見てみましょう。

「セキュリティの確保」に関しては、以前から盛んに言われていますが、
自分で自分の情報流出を防ぐことは、さほど難しいことではないとしても、
会員登録や名簿など社会的情報の流出に関しては、防ぐことが困難です。
すでに銀行や官庁の情報でさえ、流出事故が相次いでいますから、
僕らの情報は、ひとたび外に出た時点でセキュリティの危機にさらされます。

「投資効果」に関しては、新しいソフトや使い道が次々に出て、
お金がある人は、常に最先端の機器を求めて集まってくることにより、
社会的には常に情報格差が拡大し、走り続ける必要が出てきます。
それによって得る情報が、ゆっくり時間を過ごすことで得るものに比べ、
いったいどれほど優れて価値があるのか、僕にはなんとも疑問ですし、
少なくとも多くの時間を割くことで、人は無闇に忙しくなっているでしょう。

そして「クラウドへの親和性」とは、例えば僕らがブログを作る時に、
Yahoo!ブログにするか、楽天ブログにするかと言った選択で、
それぞれの囲い込み世界の中に入ることで、情報偏向の可能性を持ちます。
この「何に参加するか」を誤ると、常におかしな情報に晒されることで、
正常な判断が出来なくなっている可能性があるのに、気付きません。

実はさらに深刻なのが、この延長線上に潜んでいる危険性でしょう。
かつての新聞やテレビが、広く社会の情報を集めて届けてくれた、
古き良き時代から、企業論理によって情報選別が進んだ結果、
大量のものを消費することが良いことだと、信じ込ませたように、
ひとたび利便性になれてしまうと、この情報が不可欠になってしまい、
やがて人を特定の方向へ導く仕組みにも、気付かない危険があるのです。

企業の貪欲な宣伝活動によって、こうした危惧は日常的にあり、
このYahoo!ブログでも、ある日突然巨大な広告がトップに出てきて、
やがて望みもしない宣伝活動の、手助けをさせられていると言うことです。
僕らはこうしたITシステムを使う限り、こうした危惧から逃れられず、
常に情報リテラシーを求められるのですが、これが難しいのです。
次々に飛び込んでくる情報に圧倒されて、その信憑性が判断できなくなると、
いつのまにか原発さえも安全だと、信じ込んでしまう危険性のことです。

僕は幸いにして貧しいので、こうした危険に晒されることは少なく、
ITの仮想社会から距離を置いて、フェイスブックの誘いにも応じません。
それでも周囲の人が皆、特定の情報を信じて動くようになれば、
無用な危険を感じる時が来るかも知れないし、そうでないとしても、
多くの人が最新の情報を追いかけて、走り回っている社会に暮らすことで、
いわれない不安が広がり、社会を危うくしないかと危惧するのです。