左義長が終わり・・・

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今日は地元の小学校校庭で、左義長がありました。
書道などしないし、以前は正月飾りもしなかった僕は、
左義長など、まったく関係のない生活をしていましたが、
今年は自家製の門松を作り、鏡餅も作っていたので、
中学生の頃以来、超久しぶりに左義長に行って来ました。

小学校の校庭に大きな櫓を組んで、そこに飾り物や、
習字や書道の書かれた用紙を集めて、盛大に燃やします。
と言っても、僕らは30分ほど遅れて行ったので、
すでに盛大な火はなくなって、大量の灰が残っていました。
それでも火は続いていたので、正月飾りを投げ込めば、
勢いよく燃えて、灰が空に高く昇っていきます。

同じ井波町内の人が、次々に顔を出しますから、
ここで初めて顔を合わせれば、お決まりの挨拶もします。
「今年もよろしくお願いします」と挨拶を交わし、
また新しい年も、付き合いを続ける気持ちを述べるのです。
たったそれだけのことですが、人が集まれば笑顔になり、
気持ちが引き締まって、なにやら良いことがあった気にもなる。

お正月の行事というのは、本当にいろいろあって、
僕も子どもの頃には、両親がやっていた記憶があります。
だけど東京に出てからは、ほとんど関心が無くなって、
去年結婚したことで、今年はあらためて参加したわけです。
日本の多くの行事は、家族を大切に行われることが多いので、
独身の時には関心を持てなかったのも、やむを得ないでしょう。

考えてみれば様々な祭りにしても、家族がいなければ、
どうしても他人事になる、そのような行事が多いのです。
祭りが観光になってしまえば、家族と無関係になり、
いかに行事が盛大になろうと、本来の意味を失うでしょう。
それでもお金になればいいのか、本来の意味を大切に守るのか、
この辺をどう考えるかが、大きな分かれ目だと思うのです。

左義長を終えて、家で鏡餅をぜんざいにして食べて、
これでスッキリと、お正月も終わった気になりました。
年末に突いた餅もだいぶ無くなって、いよいよ次は出産です。
気持ちは逸るのですが、僕が焦ってもどうにもならないと、
わかってはいるのですが、やっぱり落ち着かないのです。