書き下ろし

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今から7~8年前になりますが、まみあなで活動していた頃に、
てんつくまんを呼んで、「天国は作るもの」の上映会をしました。
そのときてんつくまんが、希望者一人一人に書き下ろしをして、
いわば天からのメッセージのようなものを、書き記していました。
僕も一度書いてもらいながら、しばらく行方不明だったのが
昨日家の片付けをしていたら出てきた、その書がこれです。

「本物の美しさを知ったものは
 美しさを大切にしようと思う
 文雄の仕事は
 本物の美しさを知り
 伝えてゆくこと」

当時は自然農を始めたばかりで、まみあなの雑用的な仕事も多く、
すっかり忘れていたのですが、僕が小説原稿を書くようになったのは、
確かに“美しさ”に惹かれて、表現したいと思ったからでした。
美しさを表現すると言っても、絵や彫刻の色や造形の美ではなくて、
人間としての世界観の美しさ、命の美しさのようなものだったので、
いわば思いを綴る、詩か小説のようなものでしか表せなかったのです。

作品は書き続けていましたが、日の目を見ることはなくて、
わずかに一部の人に認められながら、細々と書き続けていたら、
そうした作品世界ではない、現実世界に美を表現する人たちがいた。
それが自然農をやる人たちで、その延長にまみあなもあったのに、
活動をするなかで、僕は元の本質を忘れていたのかも知れません。
そんなときに、てんつくまんがこの書き下ろしを書いてくれたのです。

ちょうど小林正弥先生のところで、公共哲学を学んでいた頃で、
東京平和映画祭を手伝いながら、伊江島で平和映画祭も開催しました。
人間にとっての本物の美しさとは、どのような理想を持てるかであり、
その理想に向けて、どんな生き方が出来るかに掛かっています。
僕は試行錯誤の繰り返しで、失敗ばかり積み重ねていたのですが、
それでも生き方を見失わなかったことで、自分を育てられたのでしょう。

妥協のない理想を求めた中で得たものは、無理をしないで自分を生きる、
ゆったりとした生活を維持しながら、こだわりなく命に沿って生きること。
そして今頃になって、本物の美しさを知って生きることの意味と魅力が、
自分の生き方としても、身に付いてきたことを実感できるようになりました。
お金に頼り過ぎず、人間関係の中で生活の糧を賄いながら暮らし、
日々穏やかな幸せに、足るを知る生活が出来てきたように思っています。

今年は大きな転換があって、僕は今新しい世界を生き始めていますが、
来年はそれがさらに具体的な形を持って、大きく育ってくるのです。
それはほとんど、僕自身が新しい命を生きることでもあるでしょうし、
さらに一つ、新しい命が生まれてくることでもあるでしょう。
この命の循環にこそ、本物の美しさの極みが潜んでいますことを!