「脳と桜」を読んで

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今日は、とても面白い論文「脳と桜」を読ませていただいたので、
その第一印象的な感想を、書いておこうと思います。
論文を先に読むか(↓)
http://www.medicine-free.org/%E8%84%B3%E3%81%A8%E6%A1%9C-brain-and-cherry-tree/
感想文を先に読むか、
どちらも読んでいただいて、思うところがあればコメントください。

(以下感想)
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貴重な論文を読ませていただき、ありがとうございます。
読んでいて思ったのは、時間感覚が生命の重要な要素だろうと言うことです。
これは以前から思っていたことでもありますが、
今受け取っている情報と、次の瞬間に受け取っている情報の差(変化)が、
情報源が何であるかを認識する、重要な材料になっていると思うのです。
そうした基本的な理解があったので、論文は素直に読み通すことができました。

時間から切り取られた情報では、心を含めて生命活動は何も説明できず、
長い歴史的な時間を待つまでもなく、常に時間の要素が認識を生んでいるのだと思います。
そうすると、無数の「生長点細胞」が瞬時の自我を構成しているという論は、
容易に納得できますし、桜の「生長点細胞」と人間の「神経幹細胞」を、
同じ命の別の個性と見るのは、なるほどうまい理解のし仕方だと感心しました。
双方が同じように、季節や環境などの時間に対する反応を持って自己を表現するから、
僕らは桜を見て、自分が何をすべきかを学ぶこともできるのでしょう。

「外界からの情報や刺激がなければ、見たことも聞いたこともないものが脳の中で、
自ずと心が出来上がることはない」と言うのは、その通りだと思います。
だからこそ、僕らが基本的に“善きこと”と思っている様々なことも、
そのような社会環境や理想の提示がなければ、育たない感性だと言えるでしょう。
「同じ心をもつ人間をコピーするのには同じ年月と、その人が育ってきた環境とが必要」
とは直感的に思っていたことですが、この説明を得て納得することができました。
あとがきにもありますように、僕らは現代の常識を鵜呑みにしすぎて、
根本的に疑ってみることを、忘れてしまっているように思います。

たとえばイリイチが言ったように、学校や医療と言った基本的なことさえ、
心の問題として考えてみれば、現代の常識が必ずしも正しいとは思われません。
しかし何をもってこれを否定し、どうあるべきかを唱えるには、
いわゆる理論的な説明をいくらしても伝わらず、直感に頼るところがある。
その理由も、自分の感性が行き着いた到達点は自分だけのものであり、
同じ環境で同じ時間を過ごしたわけではない、別個の他者にとって、
そう簡単に理解できるものではないから、なのでしょう。

しかしすべての人が、自分とは何かを真剣に考えて生きるなら、
規律や統制ではなく自由な協調によって、善き関係性は生まれる筈です。
人間の活動が祈りから始まるのも、祈りによって方向性が示されていれば、
百人百様の現実の中でも、同じ善きものを共有することができるはずで、
僕らはまず、こうした方向性で一致して行けたらと思いました。
自然農ばかりでなく、自然から学ぶものは多いですね!
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