鈴虫の音色

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このところ涼しくなって、夕方頃から虫の鳴き声が聞こえます。
いくつもの虫がそれぞれに鳴くのですが、よく聞いていると、
キリギリスやコオロギに混じって、かならず鈴虫の音色が聞こえる。
しかもすぐ近くで聞こえるのは、家の中で鳴いている様子です。
何年か前に最初に気付いた時は、探し出して捕獲しようとしましたが、
どこから家の中に入ったのか、何故家の中にいるのか興味もあって、
そのまま涼しげな音色を聞きながら、眠るようになりました。

すると時々、庭に面した居間の板床の上で見かけるようになり、
そのままにしておくと、すぐそばで軽やかに羽音を聞かせてくれます。
そしてやがてどこかへ行くのか死んでしまうのか、聞こえなくなりますが、
翌年にも同じように、すぐ近くで鈴虫の音色を聞くようになり、
それから毎年この季節には、鈴虫の羽音を聴かない年はありません。
他の虫たちは、せいぜい庭先で鳴いているだけなのですが、
鈴虫だけは、毎年家の中まで来て美しい音色を聞かせてくれるのです。

我が家は古い家なので、隙間はたくさんあるのでしょうが、
なぜ鈴虫だけが入り込むのか、そんな習性でもあるのでしょうか?
羽音の音色を聞かせてくれるのは、たぶんオスだけでしょうから、
もしやすぐ傍にはメスもいて、つがいで愛を紡いでいるのでしょうか?
それにしては、鈴虫が大量に発生するわけでもなさそうだし、
毎年絶えることなく我が家にいて、音色を聞かせてくれるなんて、
何とも不思議で、ありがたいような嬉しいような気持ちです。

夜は翌朝の農作業に備えて早く寝るので、まだその時刻には、
鈴虫が一生懸命鳴いているので、何とも言えずいい感じでです。
そう言えば日曜日に大玉生に泊まった夜も、虫の声がたくさん聞こえて、
昔はそれが当たり前だったことを、鮮やかに思い出させてくれました。
夏の蛙の大合唱もそうですが、秋の虫の合同演奏会もにぎやかで、
音色を聞き分けながら、気持ち良い眠りに落ちていたのを思い出します。
たくさんの生き物と一緒に生きる、命の安心感のようなものですね。

今では農薬やら土壌改良やらで、田畑の生き物はほとんどいなくなり、
虫が生きる場所だった空き地の草むらも無くなって、さみしいものです。
栄華を極めた人間社会のなれの果てに、虫の声も聞こえない秋が、
当たり前になってしまって、何が豊かな社会なのでしょうか?
昔は生活の中にあった風流が、今や一部の人の囲いものになってしまって、
やがてどこにも見あたらなくなり、消えていってしまうのでしょうか?
そんな悲しいことにならないように、自然農を続けていきましょう。