死に際に思うこと
僕の母は、ALSの難病で亡くなる直前に、
担当医を呼んで、謝礼の言葉を述べたそうです。
「ありがとうございます。お世話になりました。
もうお迎えが来たようなので、これが最後です。
よい人生を生きさせてもらって、幸せでした。」
こんな感じの言葉を述べて、それが最後となり、
その夜のうちに、息を引き取ったと聞いています。
担当医を呼んで、謝礼の言葉を述べたそうです。
「ありがとうございます。お世話になりました。
もうお迎えが来たようなので、これが最後です。
よい人生を生きさせてもらって、幸せでした。」
こんな感じの言葉を述べて、それが最後となり、
その夜のうちに、息を引き取ったと聞いています。
難病を何年も患って、72歳で亡くなったのだから、
よい人生だったのかどうか、余人には何とも言えません。
だけど当人が、幸せだったというのだから幸せです。
お迎えが来たという表現も、信じがたいかも知れませんが、
母は時として、死者の音や気配を感じる人でした。
親戚の誰かが亡くなると、屋根の上を誰かが駆けていく、
と言って、幼い僕を不思議な気分にさせたものです。
果たして誰でもが、死に際にそんな風なことを思うのか?
長年オーストラリアで、終末期ケアに携わってきた、
看護師の Bronnie さんによれば、死を覚悟した患者さんの、
ほとんどが、悔恨や反省の言葉を残すそうです。
そんな言葉が『The Top Five Regrets of the Dying』に、
まとめられているのですが、その言葉をまとめて、
ベスト5にすれば、こんな感じだそうです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◎ I wish I hadn’t worked so hard.
──「あんなに一所懸命働かなくてもよかった」
◎ I wish I hadn’t worked so hard.
──「あんなに一所懸命働かなくてもよかった」
◎ I wish I’d had the courage to live a life true to myself,
not the life others expected of me.
──「自分自身に忠実に生きればよかった」
◎ I wish I had stayed in touch with my friends.
──「友人といい関係を続けていられればよかった」
◎ I wish that I had let myself be happier.
──「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
僕は自分がやりたいことだけやって、ずっと生きてきたし、
いつも自分と向き合って、素直に正直に生きてきました。
友人との関係を大切にして、自分も大切に生きた気がするから、
およそこのいずれにも、当てはまらないように思います。
特に最初の「あんなに一所懸命働かなくてもよかった」と言うのは、
自分の意に添わない仕事をした人が、言いそうなセリフです。
こんな人生では、なんだか自分が可哀相になりそうな・・・
多くの人はどうして、意に添わない仕事を一生懸命にして、
自分を裏切り、自分の気持ちを隠して暮らしているのか?
しかも友人を大切にすることなく、自分を幸せにも出来ないなんて、
いったい何を恐れ、何を大切に守って生きているのでしょうか?
とこんな風に言えば、それぞれ事情があって思うように出来ない、
好き勝手にやっていれば、人生はひどいことになってしまう。
と言った声が聞こえてきそうだけど、果たして本当でしょうか?
なるほど僕は、仕事も財産も名誉も肩書きもない不良中年だけど、
この年になって、欲しいものはほとんど手に入っている。
自由に正直に自分を生きてきて、愛する人もそばにいるし、
お金などなくても、本当に欲しいものはちゃんと手に入っている。
ラッキーだったことがあるとすれば、生まれた時代に、
自分が参加しなければならない、大きな戦争がなかったことで、
この豊かな時代に、大切にすべきものはわかっているのです。