「日本人の証明」

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東條英機の曾孫が語る!」と言うふれこみで、
東條英利さんが書かれた「日本人の証明」を読みました。
実のところ、僕は東條英機と言われても感慨はないし、
日本を戦争に導いた最高責任者の一人、と言われていても、
そんなに単純なものとも、思ってはいないのです。
ただチラチラと目次を見ていると、日本人起源篇には、
気になる項目がたくさんあったので、読んでみました。

ちなみに日本国起源篇には、必ずしも共感しませんが、
書いてあることの内容は、納得できるものでした。
特に明記してありませんが、敗戦した日本人が持っていた、
微妙なコンプレックスのようなものが、英利さんのみならず、
様々な形で、現代日本人の感覚に影響を与えていること。
たとえば、乱立しながら大衆化しない日本の保守派の様相や、
建国記念の日の「の」の字の意味など、興味深い話です。

しかしこの本が面白いのは、やはり後半の部分でしょう。
たとえば神道に関する分析は、妙に専門的になりすぎずに、
一般的な人が聞いて、なるほどと思う話でありながら、
神道の根元的な意味や、日本人にとって何なのかが書いてある。
たとえば戦後の神道は、宗教法人として扱われていますが、
神道には教典もなければ、布教活動もないのは何故か?
読み進むうちに、当たり前のことが不思議に思われてくる。

自分が何をルーツに、どんなアイデンティティを持つ存在か、
そんなことを知ろうともしないで、自分の個性を否定してしまい、
「私はこういう人間だから、○○ができない」と言う人を、
彼は明確に否定しますが、その根拠も曖昧ながら面白い。
そこでは、すべての人は個性的で違う存在だから、
何をやるにしても、個性的な可能性を秘めているとする。
その個性を保障するのが、文化としての神道なのかも知れない。

世界的に認められた感のある、「もったいない」にしても、
本来の日本人が持っていた、自然に対する畏敬の念として感覚が、
今ではどこかへ行ってしまい、強引な自分感覚が横行している。
身近な季節毎の旬を味わい、季節にないものは潔くあきらめて暮らす、
そんな神道的文化感覚を失って、物質経済を優先する現代人は、
自分を見失い、幸せからも遠ざかっているのかも知れない。
そんなことを考えさせる、力のある本だったと思います。