新聞テレビのない暮らし

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昨年の7月に、テレビ放送が見られなくなって、
早いもので、もう10ヶ月が過ぎてしまいました。
日々の情報が、ネットから入手できるようになって、
新聞購読を止めてからは、もう12年になります。

新聞を止めた当時は、そもそも記事の量が多すぎて、
たった1/10もない、気になる記事のために、
毎日膨大な紙を、運び込まれることがイヤでした。
しかも記事の内容は一方的で、内容に異議があっても、
読者を無視して、特定の価値が押しつけられる。

テレビを見なくなったのも、同じような理由で、
特に腹立たしかったのは、CM広告の厚かましさと、
バラエティ番組に見る、金持ちに対する憧憬です。
お金経済のためなら、他人の不幸など考えない、
何でも買うことによって、幸せになるかのような、
いびつな価値観が、きらびやかに推奨される世界です。

それでも良質な番組や、欲しい情報も流れるので、
見たくない番組は、見なければいいと思っていました。
だけど昨年の7月に、テレビがデジタルになるとき、
新しいテレビを買うか買わないか、迷ってしまい、
テレビを見たいのかどうか、試すことにしたのです。

どうしても見たければ、その時点で買えばいいし、
慢性的に見ているだけなら、時間の無駄なので、
そのままテレビのない暮らしも、いいかも知れない。
そう思って、8月からはテレビのない暮らしです。
だけど新聞を止めたときと同じで、何も支障はないし、
そのままテレビのことなど、忘れてしまいました。

この10ヶ月の間に、テレビを見たいと思ったのは、
ニュースや情報番組ではなく、スポーツ番組で、
サッカーや大相撲などは、見たくなりました。
でもそのために、わざわざテレビを買う気にもなれず、
結局は何不自由もなく、腹立たしい番組も見ないで済む。

今はこうして、情報ならネット経由で入ってくるし、
芸能音楽エンターテイメントに関しても、ネットが早い。
原発が人々を幸せにするかのような、腹立たしい情報も、
ネットなら一方的に受けるのではなく、反論も出来る。
今やテレビのない暮らしは、いかにもさわやかで、
早寝早起きが気持ちよく、自然に近しくなりました