鎌田實さん講演会

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南砺市民大学講座&なんと市民学遊塾綜合開講式」を兼ねて、
“「がんばらない」けど「あきらめない」 ~命を支えるということ~”
と題した、鎌田實さんの講演会があったので行ってきました。
屋外が気持ちの良い快晴だったし、近隣で他のイベントもあったので、
はたしてどの程度の人が集まるのか?、と思って行ったのですが、
670席ある大ホールに、隅々までほぼ満員の出席者でした。
僕は15分前に入ったのですが、前から2列目の席に座りました。

講演会にしては珍しく、重厚な緞帳が下げてありましたが、
その理由は、講師紹介で緞帳が上がったときにわかりました。
鎌田さんは足を骨折して、椅子に腰掛けて準備しておられたのです。
それでも笑顔は絶やさずに、どんなときも前向きに生きるお話で、
その姿や態度にこそ、彼の生き方としての主張があったのでしょう。
話慣れておられるだけでなく、聞く人のツボをよく心得ておられるようで、
さりげなく骨折の話から始まったと思ったら、東日本大震災の話になり、
そのままグイグイと、聞く人の心を掴んで離さない話しぶりです。

いくつか心に強く残ったことだけを、紹介しておきますが、
まず彼を育ててくれた、ご両親のことが胸を打ちました。
幼い頃に孤児となっていた彼は、育ての親に引き取られますが、
その親がまた貧乏で、母親は心臓が弱くて入院ばかりしています。
それなのになぜ彼を引き取って育ててくれたかは、言いませんでしたが、
この話は、イスラエル兵に銃で撃たれたパレスチナの男の子の父親が、
イスラエルの病院で脳死と診断され、イスラエルの心臓病の女の子に、
心臓移植することを受け入れる話に、繋がって見えてきます。

その父親は、目の前に溺れている子がいて、自分が助けられるなら、
国籍や敵味方など考えないで、助けるのが当たり前だろうと言うのです。
まったく同じように、鎌田さんを拾ってくれた父親って人は、
両親に捨てられた彼を見て、自分が貧乏でも拾わずにいられなかった。
体の弱い自分の恋女房を、タクシーの運転手をしながら治療費を賄い、
その上で、拾った實さんを自分の子として育ててくれたのです。
そして大学に行きたいと言ったときに、反対されたにもかかわらず、
泣きながら頼み続けたときに、「自由にしていい」と言われる。

鎌田さんの人生哲学のようなものは、ここから生まれているようで、
自由を大切に、相手の身になって考え、行動するのが信条になっている。
チェルノブイリでの子どもたちを救う活動も、東日本大震災の後に、
様々なボランティア活動をするときにも、相手の身になって考えることで、
温かいおでんを用意したり、お風呂を用意したりしているのです。
こうした活動は、震災やチェルノブイリで始まったわけではなく、
長野県の諏訪中央病院で、地域医療に大きな成果を収めたことは有名で、
12年前に出版された著書「がんばらない」はベストセラーになっています。

そして今回の講演で、彼がキーワードとして挙げていたのは、
「~にもかかわらず」「誰かのために働く」と言うことでした。
人は自分のために働いても幸せにはなれず、誰か他の人のために働くと、
不思議と喜びが沸いてきて、自分自身も健康になることが出来る。
どんな苦しい状況にあっても、どんなに悪い条件下であっても、
誰か人のために、少しでも自分で出来ることをやっていくことで、
本人も幸せになることが出来るという、魔法のような真実なのです。
鎌田さんは自分が体験した数多くの実例から、そんな話をされたのです。

聞く人の涙腺を刺激するような話に、効果音のような音楽まで付けて、
なんかちょっと、手の内に乗せられてしまった感はありましたが、
それでも話の内容は感動的で、人間であることに勇気をいただきました。
今でこそ彼は有名人なので、ブログで何か呼びかければ人が集まり、
様々な活動が、多くの人の協力で出来るようになっていますが、
諏訪中央病院に赴任した当初は、地域の脳卒中を減らしたいと思い、
減塩を呼びかける講演を何度も開いたけど、人は納得しながら実行しない。
これを行動変容するまで「あきらめなかった」ので、成功したのでしょう。