市民活動と日本の政治

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今年に入って、いくつかの世論調査や意識調査を見ると、
脱原発を求めている人が、原発擁護者の2倍以上になっています。
しかし不思議なことに、政治家や政党の主張を見る限りでは、
政治勢力としては、脱原発の勢力はあまり勢いが強くはありません。
景気浮揚対策や貧困対策なら、そろって同じ方向を向く政治家が、
なぜ脱原発で大きな勢力にならないかと言えば、それぞれの政党が、
住民の安心安全よりも、経済に重きを置いているからでしょう。

こうした政治と住民意識のズレを、問うているのが市民活動で、
この一年間に脱原発を求めた市民活動は、日本では珍しく活発でした。
しかし政治家や政党は、相変わらずこのズレを修正できていなくて、
民主党自民党も、党内事情が先立って脱原発どころではない。
そこで新しい政治勢力が、いくつも登場しているのですが、
どういうわけか、市民活動が政治勢力になることはありません。
恒久的な主張として、脱原発を掲げる勢力が政治勢力にはならずに、
上手に市民意識を取り込んだ勢力が、脱原発の旗印になる。

それはよく考えると、なんとも胡散臭い感じが見え隠れして、
民主主義による政治のダイナミズムが無く、専制政治の匂いがする。
元々日本では、市民主導の民主主義が育った歴史伝統はないので、
比較的知識の豊かな人でも、専制政治を悪いものとは思っておらずに、
むしろ誰か、英雄が出て世直ししてくれるのを望んでいたりする。
こうした日本人の無意識の性格が、小泉政権を盛り上げていたのですが、
このところ、こうした傾向を上手に利用する政党が出てきました。

大阪維新の会という、何をしたいのかよくわからない政治勢力が、
それでも住民の意識を汲み上げることはうまく、支持を広げています。
政治塾を開けば、どこかの政党などは全員が参加したりして、
この国の新しい政党など、主張するものが無いことがよくわかるし、
主張があって政治活動があるのではなく、政治権力が欲しいだけでしょう。
数年前の国政選挙で、「緑の会議」が惨敗したのを知っているから、
この国で政策論争しても、政治家にはなれないのだとわかっています。
それではどんな人が政治家になるのかと言えば、まず有名人で、
マスコミが取り上げてくれる、経済優先の価値観の人と決まっています。

身も蓋もない話ですが、これが日本の政治状況だと知っていれば、
マスコミに登場する政治家と言われる人たちが、なぜ政治が出来ないか、
なぜやらなくていいことをやって、問題を起こしているのかがわかるのです。
そもそも政治的主張があって、政治家になっているのではなく、
政治家になるためには、平身低位で何でも言ってのける人たちなのです。
こうした政治家ばかりを選んできたのは、今までの有権者ですが、
望んでそうしてきたのかと言えば、多くの人はそんな意識さえありません。
市民は、新聞テレビのマスメディアから流される情報をそのまま信じ、
政治家はマスメディアの受けがいいように、矛盾したことでも平気で言います。

僕は社会を変えるには、一人ひとりの生き方が大切だと思っていますが、
その目に見える形として、社会人としての政治参画は不可欠と思っています。
この政治参画とは、政治家とパイプを持とうとすることではなく、
まず現実を知り、自らも意見を言って、社会の責任者となることです。
憧れの有名人を見るように政治家を見るのではなく、複眼で事実をとらえ、
社会をより良いものにするためには何が必要か、自分で把握することで、
主張すべき内容を深め、集約し、それを政治の場に活かすことです。
そのためには、現実の選挙における選択肢を作ることも大切で、
これからの市民活動は、選択肢の受け皿になる必要があるでしょう。

下に、ブログ「世に倦む日々」から、
市民活動が政治に活かされない現状を綴った部分を、抜粋してみました。
僕にはとても参考になる記事でしたので、皆さんにも紹介しておきます。

ーーー以下転載ーーー
脱原発運動の非政治主義。
私は、これを脱構築の思想的影響として把握するのだけれど、
とにかく異常と思われるほど、自己を政治勢力化しようとせず、
政策の現場に影響を与える対抗軸を作ろうとしない。デモに出るだけ、
講演を聞くだけ、本を読むだけ、それだけで終わって満足している。
本来、大阪のエネルギー戦略会議のようなものは、橋下徹ではなく、
脱原発運動そのものが率先して開催すべきもので、データを分析し、
問題提起し、政策提言して一般に問うべきものだ。それをやっていない。
ときどき集会を打ち、署名を集めているだけ。例えば、経産省前のテントで
座り込みをしている者たちがいる。努力には敬服するが、
運動の前衛であるならば、どうしてその位置で停止し、
その先の政治勢力の構築にまで手を広げないのか。
ディスカッションをしないのか。脱原発を求める国民の意思が
橋下徹に回収される危険性を恐怖しないのか。昨年のTPPのときは、
曲がりなりにも「TPPを考える国民会議」のセンターがあり、
そこへ苦情や要望の電話をかけることができた。発破もかけた。
今回の再稼働阻止には、どこにも訴える先がない。
不本意ながら、一人でTweetするだけだ。
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全文は↓こちら。
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