一人だけの卒業式

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コミュニティハウス「ひとのま」には、
学校へ行けなくなった子をサポートするために、
「ひとのま学園」と言うシステムがあります。
今日はその記念すべき第1回の卒業式があったので、
僕もお祝いに駆けつけて式に列席してきました。

今回卒業するテルくんは、5年生の頃から学校に行けなくなって、
しばらくは自宅に閉じこもっていたようですが、去年の夏に、
ひとのま学園ができてから、そちらに通っていたのです。
僕は何度も彼と会って、話もしていますが、
いわゆる普通の学校が、どうして彼をはじき出したのか?
そのことの方が疑問に思うほど、彼は真っ当な子でした。

卒業式では彼のお父さんが、すてきな挨拶をされました。
お父さんはテルくんが参加していない小学校の卒業式に呼ばれ、
ひたすら形式的に、事なかれ主義の学校の卒業証書を受け取り、
とても虚しい気持ちになって家に帰られたのですが、
今日は人間的なひとのま学園の卒業式に、参列できたことで、
とても気持ちが落ちついて、嬉しかったとおっしゃる。

お父さんは、テルくんが学校へ行けなくなったと知ったときは、
ショックで、最初はテルくんにも怒っていたそうです。
だけど学校側と話をする内に、むしろ学校の方針に違和感を持って、
それならばと、お母さんが見つけてきたひとのま学園に入園。
それからのテルくんは、少しずつ笑顔が戻るようになって、
今ではすっかりみんなにうち解けて、元気な卒業生になりました。

僕はテルくんがどうして学校を拒むようになったのか、
詳しいことを知っているわけではありませんが、
特定の価値観に強引に従わせようとする、日本の義務教育には、
以前から少なからず疑問を感じていたので、テルくんに違和感はない。
むしろ学校の方に違和感を感じるので、お父さんの気持ちは、
よくわかる気がして、共感しながら聞いていたのです。

十人十色、百人百様の個性がある人間を教育するには、
教育する側、受ける側、受けさせる側の信頼関係が不可欠です。
だけど今の学校制度は、多様な価値観を受け入れることが出来ずに、
強いものだけを優遇して、型通りでないものは排除する。
そんな選別教育の学校なら、救われない子はたくさんいるはずで、
社会はそんな子どもたちをサポートしなければなりません。

僕らには、子どもに教育を受けさせる義務はあっても、
学校の価値観を一方的に押しつけられるいわれはありません。
むしろ子どもの人権を考えるなら、拒否する権利もあるはずで、
親子で信じられる教育を受ける権利があると言ってもいいでしょう。
それは必ずしも、文部省の小学校でなくてもいいのです。

テルくん、卒業おめでとう!