大震災と原発事故の違い

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今日で、東日本大震災から1年が経ちます。
この3.11と言う数字は、9.11と同じように、
重い意味を持って、生涯忘れることはないでしょう。
どちらの場合も、人間の思い上がりさえなければ、
こんな悲惨な結果には、ならなかったはずなのですが。

11年前の9.11の場合には、その後戦争が起きて、
世界中で大勢の人が亡くなり、自爆テロも増えました。
そして昨年の原発事故の場合は、大量のヒバクシャが出て、
1年が過ぎた今でも、さらに10年が過ぎてでも、
放射能汚染によるトラブルは、なくならないでしょう。

大震災と原発事故は、まったく性格の違うものですから、
これを分けて考えないと、大切なところで判断を誤ります。
たとえば今一番の問題とされている、瓦礫処理のことも、
放射能汚染とは、まったく関係ない場所の瓦礫なら、
速やかに処理は進むし、住民の反対もこれほど多くない。

しかし放射能汚染とは無関係な瓦礫処理の問題でも、
地中に埋めて土盛りして、防潮堤にする案もあると知れば、
なぜわざわざ遠方に運んで処理するのか、わからない。
まして放射能汚染された瓦礫は、拡散させない基本に従い、
汚染地域に集めて、東電が管理するしかないのです。

地震も大津波も、人智を超えた天災ではありますが、
そのときを過ぎれば、たとえ多くの人命財産を失っても、
泣きながらでもきれいさっぱり、また最初からやり直せる。
だけど原発事故の場合は、そのときが悲劇の始まりで、
被災者はいつ終わるとも知れない、被曝者となるのです。

これほどの大人災に対して、誰一人責任を問われずに、
財界の肥満ブタは、原発維持を高らかに唱えている。
金さえ儲ければ、誰がどれだけ被害を被ろうと屁でもない、
そんな日本人の経済信仰に、原発神話は巣くったのです。
そのヒロインは間違いもなく、利権と絡んだテレビ界でした。

今日はその大震災から1年が過ぎた、大切な日として、
テレビでは特集番組が盛んですが、皆他人事のようです。
自分たちが原発推進を煽り、反対意見を封じてきたことを、
テレビ局の責任者は反省して、番組を作って欲しいけど、
そのような内容の番組は、残念ながら見つけられません。

彼らは、何を反省すべきかもわからない人たちなのか、
それとも確信犯として、スポンサーの意向こそが大切なのか。
たぶんその両方であり、その奥にこそ問題の本質がある。
金融経済やグローバリズムによる、お金の問題に切り込み、
人々の暮らしはどうあるべきかを問う、そんな番組はないものか・・・