住民の道

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船浮集落の公道 
 
気がつけば、去年の8月11日から半年以上、
「海と沖縄」コーナーの記事を、書いていませんでした。
海や沖縄に、関心がなくなったわけではないのですが、
3.11事件で、原発自然エネルギーへの関心が高まり、
まちづくり条例で、恒例の沖縄行きができなかった理由もある。
夏に海で過ごせなかったために、アトピーが蒸し返したり、
そのまま体が、引き締まらなくなったのも残念ですが、
沖縄への関心がなくなったわけではないことも、確かです。

沖縄は良くも悪くも、日本の縮図のような場所ですが、
なにがどう縮図なのかと言えば、今もアメリカに蹂躙されており、
貴重な伝統文化も自然の豊かさも、お金に蹴散らされている。
軍事的脅威によって守られた、アメリカ型の大量消費の文化は、
すでに30年前には、持続不可能なモデルだと発覚して、
21世紀には、新しい豊かさが模索されてきているのですが、
日本はなぜか新しい動きに対応せず、低迷を続けています。

原発は安全だと信じ込ませて、原発の数を増やしてきたように、
経済が拡大すれば幸せになると信じ込ませて、破壊活動を続けた。
そのために、人間生活のあらゆる事をお金換算するようになり、
金経済が増え続けているときは、問題は発覚しなかったのですが、
一度減速すると、次々に問題が出て回復することができない。
頭の固いお役人や経済人は、古い手法に頼って経済回復を試みるけど、
何でも数値化することで、経済が拡大するなんて誤魔化しは、
新しい社会では通用しない、古い迷信になってしまっているのです。

それではどうすれば、経済を拡大しないで幸せになれるのか?
再処理工場と一緒に暮らすことで、膨大な収入を得る六ヶ所村と、
わずかな収入でも、自然豊かに暮らす竹富町の船浮集落と、
比べてみれば、そのヒントがあるように思っています。
六ヶ所村の人たちは、膨大な収入以外はまったく無力な存在で、
再処理工場の運営には一切口出しできないし、口出す知識もない。
いわば消費者として、お金を使うだけの自由しかなくて、
生活に関わることを、何一つ自分たちで築いてはいないから、
生活の充実感と言えば、ひたすら金勘定をするだけです。

それに比べて船浮の集落では、この道路一つにしても、
舗装を望めば舗装できるところを、土のままにして手入れする。
この方が道づくりも補修手入れも地元の人たちでできるので、
集落のみんなで請け負って、集落の収入にし続けられるだけでなく、
自分たちの道として、みんなで大切に心を通わせられるのです。
子どもたちは親が作った道路で遊び、台風で壊れたらすぐに直せるし、
動植物を排除することもないので、自然とともにいられます。
原発の村をこんな姿にはできませんが、多くの過疎地では可能で、
集落の人の楽しみにもなり、収入源にもなり続けるのです。

こうした住民意識が強ければ、まちを破壊する公共工事や、
恐ろしい原発建設に対して、地域が一致して反対できますから、
政府や大企業がいかに狡猾でも、そう簡単に住民を無視できない。
実はその典型が、沖縄における基地反対闘争でもあるのです。
鎌仲さんが「ヒバクシャ」「六ヶ所村ラプソディ」そして、
ミツバチの羽音と地球の回転」で見出された、巨悪に対抗する力、
すなわち市民住民の力とは、このような日常から発するのです。

僕らはいつだって、何でも全部手に入れることはできません。
生活をお金に頼る道を選べば、お金にならないものは抜け落ちる。
強いリーダーにお任せの行政なら、弱い人の声は掻き消される。
人々がいつも自由活発に暮らせるためには、適切なルールが必要で、
そのルールは、全員参加で意見を出し合えるものでなければなりません。
住民が幸せになるために必要なものは、お金なのか絆なのか、
原発や沖縄の基地問題から、繰り返し考えてみる必要があるのです。