五箇山伝説

イメージ 1
人喰い谷
 
五箇山合掌いろりの会代表、山崎英信さんのお話しが、
井波の福祉センターでありましたので、聞きに行ってきました。
山崎さんは、五箇山で観光ボランティアをされている人で、
井波の観光ボランティアとの交流や、勉強会でもあるのでしょう。
特に今年は、古事記編纂1300年に当たる年になるとかで、
神話や伝説がブームであるとして、五箇山の伝説のお話しです。

五箇山にある伝説としては、以下の7つを挙げられています。
(1)流刑伝説
  もともと五箇山加賀藩流刑地でしたから、
  中でも有名な「加賀騒動」の首謀者、大槻伝蔵にまつわる伝説。
  こうして流されてきた武士が、五箇山の住人を教育して、
  そこから村長や医者が育ったと聞きました。

(2)お小夜伝説
  この中では僕がもっともよく知っている、遊女お小夜の話で、
  高崎半九郎他の加賀藩士が悪事を働き、使われた遊女19人が、
  能登へ流されたときに、能登出身だったお小夜だけ山に流される。
  歌にも謳われるほど器量が善かったので、村の若者と実らぬ恋に落ち、
  最後は入水自殺をしてしまうのですが、山崎さんの話では、
  地元の娘や若者と恋に落ちて、一緒になる話はたくさんあったのに、
  この恋が結ばれなかったのは、不倫だったからではないかとの話でした。
  なるほど、言われてみないとわかならない事ですね。

(3)こきりこ伝説
  西条八十が古い書物から関心を持って、五箇山を訪ねますが、
  いにしえよりの神楽として、こきりこ唄と踊りを求めてきたのに、
  どうも実際の踊りも唄も、少し違うものだったと結論づけます。
  しかし山崎さんは、古い祝い唄の中に西条八十が求めたものがあり、
  それは若い男女が繋がって歩くだけのもので、そこで相手を求め、
  踊りの後は、二人して闇の中に消えていくというお決まりです。
  こういうやり方は、古来日本だけでなく東南アジアに多いようです。

(4)人形山伝説
  昭和57年に、TBSまんが日本昔話で紹介されたものですが、
  親孝行な2人の娘が、母親の病気を治す薬を求めて山に入り遭難した、
  その年の雪解け時期から、山に2人の姿が現れるようになったという。
  雪解けの山の様子をなぞらえた、典型的な伝説の一つです。

(5)天柱石伝説
  城端の東南に昔は松尾村というのがあり、そこにある巨大な岩ですが、
  天に向かってそそり立っているので、天柱石と呼ばれています。
  この岩は、むかし弁慶が担いで山裾から持ち上げ、突き刺した、
  と言うのが伝説となっているようですが、実はもう一つ、
  天皇系譜にまつわる伝説もあって、これは紹介されませんでした。
  これは竹内文書にも関わる話なので、いつか別に取り上げます。

(6)人喰い谷 伝説
  今回山崎さんのお話の中で、一番興味を引かれたのがこのお話です。
  人喰い谷のいわれは、国道304号線にまだ五箇山トンネルがないとき、
  冬場に郵便物を届ける隊列が、人喰い谷付近で雪崩にあって遭難し、
  春になっても死体が見つからなかったことから、谷に食べられたとして、
  人喰い谷と言われ、恐れられたことに始まるようです。
  ところが山崎さんは、当事の郵便隊がそんな危険を侵すとは思われない、
  しかも死体が一つも上がらなかったというのは、もしかしたら、
  集団で他領へ抜けるための、方便ではなかったかというのです。
  なるほど、突然大勢の人がいなくなれば、加賀藩は怪しむわけで、
  それを人喰い谷に喰われたと言えば、おとがめもなかったのでしょう。
  そのまま南相馬あたりへ集団移住していても、不思議はないのです。

(7)百恵伝説
  最後は付け足しでしたが、山口百恵三浦友和が主演した映画に、
  五箇山の合掌集落を撮影地にしたものがあって、合掌造りが登場する。
  どこそこに百恵ちゃんが来たとか言う話があるけど、実際には、
  風景しか撮影しておらず、百恵ちゃんは来なかったと言うことでした。

まあこうしてみれば、伝説にはいろんな意味があるもので、
その解釈も、地元の詳細を知っていればこそわかることもありそうです。
本や資料だけではわからない、そんな生の見解を持ってガイドする、
山崎さんのようなガイドなら、きっと観光も面白いでしょう。
それはもう単なる観光というよりも、知的好奇心の満足に掛かる話で、
(5)(6)に関しては、もっと調べれば面白そうな素材です。