シマとタビ

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島を旅したときの飛行機
 
シマとタビ、と言っても、島を旅する話ではありません。
富山県には、余所から来た人を「タビの人」と呼ぶ風習があり、
僕はこれを単純に、「旅の人」と捉えていたのですが、
そうすると、定住してしまえばもうタビの人ではないだろう、
と思うのに、タビの人は何年経ってもタビの人と言われる。
ずっと不思議に思っていたら、謎を解くヒントに出会いました。

もともと「タビ」とは、遠くに行くとは限らない言葉で、
自分のテリトリーを「シマ」と呼ぶなら、その外側が「タビ」。
シマってものを、自分の勢力が及ぶ町内のように考えるなら、
よその町内へ行くことだって、タビに行くことだったそうです。
そこで、シマを「士間」すなわち仕切っている空間と考えれば、
タビとは「他美」だったのではないか、と考えたのです。
すると今まで見えなかったものが、たくさん見えてきました。

シマに暮らしていれば、長年の暮らしで身につけたものにより、
自分たちの暮らしは安心安全で、なんとかやっていけるはず。
だけどずっと同じ暮らしをしていれば、人は満足しなくなって、
何かもっと心を躍らすような、新たな刺激が欲しくなってきます。
そこでたまにはぶらっと、シマを出てタビに行くのですが、
タビには自分のシマにはない(他)様々な刺激(美)があって、
それを見ることで、自分たちのシマの様子をあらためて認識する。

日本には「郷に入っては郷に従え」の言葉があるように、
昔はそれぞれの地域性が強く、シマとして息づいていました。
だからこそ、タビは自分の姿を認識するよい機会だったわけで、
自分のシマを大切に守りながら、ときどきタビに行って、
そこで多くのことを学ぶことで、自らのシマを再確認する。
こんな関係が成り立っていたのではないか、と思ったわけです。

現代では、日本中どこへ行っても金太郎アメ状態の文化なので、
シマを出てタビするには、文字通り日本島を出て海外へ行き、
違う文化の在り方を見るしかないような、そんな時代になりました。
だけど異質なものは、昔と違って見えない状態にされていても、
実はなくなっているわけでなく、しっかり近所に潜んでおり、
何か事件が起きると、「まさかあの人が」ってことにもなります。

高速交通網の整備によって、普段近所に住んでいる人さえ、
日常的にどこで何をしているのか、まったくわからない時代です。
しかもこの時代性は、利便性を求めて人が選択したものだから、
そうでない選択もあったってことを、多くの人は忘れている。
だから新たな未来は、必ずしもこの延長上に考えなくても、
違う方向性を持ってもいいはずで、知恵を働かせる必要がある。
このとき役立つのが、タビの知恵ではないかと思うのです。

昔から新しいことを始めるには、若者、馬鹿者、よそ者が必要!
とはよく言われることですが、若者とはエネルギーのことであり、
馬鹿者とは常識に囚われない自由な発想のことであるなら、
よそ者とは、タビからシマを見る視点がある人のことを言うのです。
そう理解すれば、タビの人は決して地域を腰掛けにするのでなく、
他美の視点を持って士間を映す、神器の一つと思って大切にしたい。
シマが見えにくい時代にこそ、身近なタビを大切にしたい気がします。