天皇誕生日に思うこと

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平成天皇の誕生日である12月23日は、日本国民の祝日です。
太平洋戦争当事において、日本の最高責任者とされていたのですから、
当事の昭和天皇が、戦争犯罪者として裁かれなかったのはおかしい!
と言う議論はよく耳にしましたが、僕自身はそれも有りかと思っています。
なにしろ天皇は国民ではないのですから、裁かれようがないでしょう。
日本中に大災害をもたらした東電責任者が裁かれないのとは、ワケが違うので、
東電の責任者が国民として暮らすのであれば、犯罪者として裁かれて欲しい。

毎年公表される、天皇の誕生日に寄せた「ご感想」文を読むと、
その一年がどんな年であったかが、人心の在り場所としてわかります。
特に天皇家の神事が、農的なものに重きを置いていることからも、
気象天候に関心が強く、毎年何らかの感想や祈りを捧げられておられる。
特に今年は3月11日の東日本大震災や、台風、豪雨の被害が大きかったこと、
あるいはタイでの水害などを引き合いに出しながら、世界中の人々と、
共に生きることの大切さを強調されたのも、印象的でした。

東電や経団連は、あれだけの災害をもたらした原発を相変わらず擁護し、
いまだに誰一人責任を感じることもなく、原発推進を唱えているようです。
しかし天皇家は、裁かれることはありませんでしたが反省を重ね、
今年の「ご感想」にも、以下のようにそのことが述べられています。

「今年は先の戦争が始まって70年になります。
 この戦争における死者はおびただしい数に上り、
 戦後、こうした戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう、
 日本の人々は、真摯(しんし)に過去を学びつつ、戦後の厳しい困難に耐え、
 営々と国づくりに励み、今日の日本を築き上げました。
 戦争の記憶が薄れようとしている今日、皆が日本がたどった歴史を繰り返し学び、
 平和に思いを致すことは極めて重要なことと思います。」

天皇が裁かれなかったことで、東電も裁かれなくていいわけがなく、
裁かれるべき東電の責任者が裁かれないこの国は、無法国家のようなものです。
無法国家でありながら、混乱することなく維持されている要因は、
政府マスコミによる、高度な国民経済信仰教化が功を奏しているからで、
この巧妙な騙しに気付いた人たちは、今新たな信仰を模索しています。
そこで日本の古神道は一つの大きな可能性があり、世界中で注目されている。
なにしろ何も拒まず、ありのままに受け入れる世界に希な宗教だからです。

様々な主義主張を明確にすればするほど、反目するしか無さそうな世界で、
仏教であれキリスト教であれイスラム教であれ、対立することなく受け入れる。
どんな教えや教条よりも、森や山そのものをご神体とする古神道は、
頭でっかちの理論に走りすぎた宗教をなだめ、人間本来の立ち位置を示す。
思えば天皇家の役割とは、そうした人の「在り方」「生き方」を考え、
ことある毎に指し示す、そこにこそ存在価値があるように思われるのです。
今年78歳になられた天皇の誕生日に、そんなことを考えました。