2011.1102
今日は珍しい、シンメトリーな日になります。
これだけうまく数字が対称になる日は、滅多にないので、
またいろんな予言や占いでは、何かと論うでしょう。
だけど50年以上も生きていれば、自分の歴史観が育っていて、
何があろうと、多少のことでは動揺しなくなる。
これだけうまく数字が対称になる日は、滅多にないので、
またいろんな予言や占いでは、何かと論うでしょう。
だけど50年以上も生きていれば、自分の歴史観が育っていて、
何があろうと、多少のことでは動揺しなくなる。
1999年に流布した、ノストラダムスの予言の時は、
まだ少し若かったこともあって、いろいろ心配もしました。
それまで12年間続けた、サラリーマン生活を辞めたこともあって、
世の中に大きな天変地異的な、激変が起きると思ったのです。
だけど何事もなく、安穏としていたら、やがて9.11になりました。
世界は繋がっていることを、強く感じると共に、
自分はどのように生きるべきかを、真剣に考えたのです。
選択したのは、自給自立的な暮らしと市民活動への参加でした。
それから10年、ノストラダムスからは12年が過ぎて、
今の僕はようやく惑うことなく、自分を生きることが出来ています。
そして来年は、またいくつもの予言が集中する2012年で、
ソウルアセンションの年だと、大騒ぎもしています。
僕が2002年に出版した「Bio Dome702」の中でさえ、
2012年は、国連で「BioDome計画」が採択される年であり、
2019年には、マザーシステム導入によって世界が変わる。
なにやら怪しげな話ですが、世界そのものが怪しげでもあるから、
その怪しさを明確にするため、別の視点から表現する意味はあるのです。
さらに、いかに怪しげな世界に生きていようと、生は奇跡ですから、
この奇跡を、大いなる感動を持って生きる意味はあるでしょう。
1999年であろうと、2012年であろうと同じことです。
今日の写真は、昨日農作業から帰る途中に撮ったもので、
車を運転していたら、巨大な火の玉が正面の左端に降りていった、
その様子を、ちょうど信号停止したときに捉えたものです。
日々生きているだけで、感動的なシーンが次々に起きている、
僕らはそれを受け止めるだけで、人生は果てしなく豊かになる。
あるいは日々の奇跡を、鈍感な人にも印象づけるために、
特別な日というものが、価値あるのかもしれません・・・