巨悪が蠢くとき

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日本ではいつものことですが、何か大きな事件事故が起きると、
それに身を隠すように、様々な巨悪の試みが蠢き始めます。
大切な議論が闇に隠され、邪悪な思惑がここぞとばかり闊歩する。
今回は3.11原発事件に紛れて、国のプライマリーバランスは放棄され、
震災の復興支援のためには、さらなる負債が必要だとされる。

それまでこの国の重要課題だった、食品の安全は放射能汚染一辺倒になり、
遺伝子組み換え食品の流通が、どさくさに紛れて導入されようとしているし、
化学物質による食料品の安全不安も、誰も言わなくなってしまいました。
経済拡大さえすれば幸せになるなんて、一部の特権者だけの話だと、
もうわかっているはずなのに、まだ妄想にしがみついて破綻を加速させる。

それどころかこの機に乗じて、政界再編が取り沙汰されれば、
また憲法改変への動きが勢いづいて、戦争への準備をする政治家もいる。
それが国民の総意なら、自滅するのも仕方ないかもしれませんが、
膨大なマスコミ広告によって市民を騙し、虚構でうち立てた価値観で、
危機感まで煽って、膨大な負債から戦争へと向かう国造りですか?

福島原発事件の首謀者たちは、いまだに逮捕されることもなく、
刑事告訴されることもなく、公民権を剥奪されることもなく、
のうのうと好きなことを言いながら、給料をもらって暮らしている。
すでにこの国は、一部特権者にとっては治外法権になっているらしく、
何万の市民に迷惑を掛けようと、国権による処罰など無さそうです。

3.11によって、新しい国造りが始まることを期待していますが、
少なくとも利権権力の中枢を牛耳っている人たちに、そんな気はなく、
誰も責任は取らずに、ほとぼりが冷めるのを待ちながら巨悪が動く。
それでも以前より多くの市民が、主体的人間として自覚してさえいれば、
必ずあらゆる末端から、この国を変えていくだろうと信じています。

巨大な邪悪に対して、人々の善き心はどのように立ち向かえるのか?
たぶん、立ち向かうのでさえない、発想の転換が必要なのです。
そしてまず、なるべく小さな単位で自主独立していくしかありません。
まず個人から、そして個人で賄えないことを地域社会で賄えれば、
巨悪に巻き取られることなく、人間としての平安を得られるでしょう.!