集金システム化した?地縁組織

イメージ 1
 
夕刻の時間帯に、外出先から家に帰ると、
待ちかまえていたように、町内の人の訪問がある。
こんな時は、正直言ってろくなことではない。
今日も車から下りたところで、3人の人がやってきて、
お墓のあるお寺で、屋根の修理工事をするので、
お墓のある家は、一口1万円の寄付をして欲しいという。

戒名一人につき一口と言われて、我が家なんか、
代々の祖先がこの墓に眠っているのだから、
いったいいくら支払えばいいのか、たまったものではない。
母以外は、死んだこともなかったことにしてもらおう。
毎年のように瑞泉寺からも、集金が来ているし、
八幡神社の方は、お断りして支払うのをやめている。

さらに交通安全協会やら、壮年会会費やら、
この壮年会も、毎年温泉に行くだけなので断った。
それにしてもどうして、町内会でこんな集金をするのか?
僕が現在関わっている「協働のまちづくり条例」では、
市民と行政の協働において、市民には地縁と任意団体があり、
地縁組織は、そこで産まれた人すべてを含むとしている。

こうした地縁は、田舎ならではのものでもあるし、
普段の生活から助け合いの場となる地縁は、大切でしょう。
だけどその組織を利用した集金は、なんだか疑問だし、
僕のように現金収入に縁のないものは、はなはだ困る。
断るには、町内の人との軋轢を生んでしまうから、
穏便に済ませるために、某かの金額を支払ってしまう。

集金を依頼する方も、それをわかっているので、
簡単に断られる任意団体ではなく、地縁組織に依頼する。
日本では法を犯してさえ、お金でけりが付くから、
ともかくお金さえ稼いでいれば、世間を渡っていける。
そうした金満社会に落ちない手段として、人間関係があり、
それを組織化したものの一つが、地縁組織のはずだった。

しかし現実は、現代では地縁組織さえ集金システムで、
金さえあればなんとかなるけど、金がないと町内の絆もない。
これでは、人の絆を育てるより金を稼げ!ってことだから、
いつまでたっても、金満社会を変えることは出来ません。
地縁組織の絆が残っている南砺市!と言ったって、
それが集金システムでしかないなら、意味ないのです。

せっかく自然豊かな田舎が、それを活かせずに、
ドン臭い田舎でしかない理由は、こんなところにもあって、
チャンスがあれば逃げ出したい人が、大勢いるでしょう。
逃げ出すこともできない老人だけが、囚われて残り、
福祉推進ゾーン!というのは、そう言うことか?
と皮肉の一つも言ってみたくなるのですが・・・