原発避難者との集い

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昨日は高岡のコミュニティハウスで、震災避難者との集いがありました。
このコミュニティハウスは、オープンイベントはまだですが、
6月13日の記事でも紹介した準備会が、コミュニティハウス「ひとのま」になったものです。
7月1日からハウス自体は開いているので、その最初のスペース活用企画として、
僕も会員であるNPO法人 Nプロジェクトひと・みち・まちがやっている
「とやま311ネット@高岡」が主催して、避難者の人と集うものです。
企画主催者は、とやま311ネット@高岡 
http://ameblo.jp/311takaoka/
 
瑞龍寺参道沿いというわかりやすい場所を利用すれば、地理に不案内な人でも、
なんとか集まれるので、4家族6人の人が訪ねてきてくれました。
企画の目的としては、地元の僕らと交流することによって、
慣れない避難生活を、少しでも気持ちよくしていただくと同時に、
避難者同士のコミュニケーションの、一助になれば!と思ってのことです。
集まってみれば、同じアパートにいながら声を掛けたことがないなど、
やはり避難生活の孤立があることが、浮き彫りになりました。

そんな中でひときわ目立ったのが、双葉町で魚屋をやっていた夫婦で、
彼らは原発が爆発する前に、危険を感じてかなり遠方まで脱出しており、
その後も周囲から独自に情報を仕入れながら、自分たちの判断で行動している。
また義援金などの入手も、積極的に問い合わせることで確実にし、
内部被曝のチェックなども、みずから対応機関を探して済ませている。
それに比べると他の人たちは、原発が爆発したあともしばらく現地に留まり、
政府の避難命令が出てから、ようやく脱出しているのが対照的です。

しかも政府の指示を待っていた人たちは、その後の対応も動くのが遅く、
いまだに義援金を受け取っていなかったり、被曝量測定もしていない。
情勢機関に問い合わせはしているようですが、いつまでたっても来ない返事を、
ひたすら待っているだけだったりして、やや自主性に欠けるのです。
そうした様子を見ていると、魚屋さんだけが自営業で自主的に動くけど、
雇われ仕事しかしたことのない他の人たちは、自分からは動かない。
この差がいかに大きいか、あらためて思い知らされた気がします。

また魚屋さんは、すでに3回現地に戻って様々な対応をしており、
そのために経費も掛かるから、積極的に義援金を利用しているのですが、
他の人たちは行政からの指示を待って、経費も極力抑えている。
自分がもしも当事者だったら、どうだろうかと考えたときに、
どうも経費を節減して、あまり動かないかも知れないと思ってしまう。
だけど魚屋さんはインターネットを使わないので、情報収集のために動くけど、
僕らはネットで情報を得ることが出来るのだから、メリットは活かしたい。

驚いたことに、現地福島ではいまだに偏った情報しか入手できないようで、
新聞テレビのマスコミ情報だけだと、原発事故はすでに収束しており、
来年になれば、家に帰れると思っている人が多いらしいと言うことです。
原発周辺では何十年も帰宅できない、あるいは二度と元の生活に戻れない!
そんな情報は、福島県外へ出ないと手に入らないとさえ言っていました。
今回の原発事故以来のマスコミ報道を批判して、不満をぶちまけ、
マスコミ情報を信じることの危険性を、身をもって話されたのが印象的でした。

その後彼らは瑞龍寺の見学に向かわれ、僕はハウスに残って、
親しい人に夏休み避難を勧めたものかどうか、迷っている人と話しました。
様々な事情があって、簡単には避難できない家族たちはどうすればいいのか、
僕は可能であれば、たとえ夏休みの間だけでも避難できるなら、
人生のバカンスのつもりで、一ヶ月くらいゆっくり避難すればいいと思う。
そんな話をしながら、あらためて原発の大罪を思わずにはいられませんでした。