緑の小道
昨日の朝から、いつも沖縄で行動を共にする友人が訪ねてきたので、
一緒に新湊へ出掛けて、白エビ、富山エビ、ブリ、ホタルイカ、スズキ、
スルメイカ、など、町中の美味しそうな店を探して買いだしてきました。
観光用のスポットでは、なかなか新鮮なものは手に入らないし、
あったとしても値段が高いので、生活者の中で買うのが一番です。
いずれも、あまりにも美味しくて、食べるのに夢中になってしまい、
写真を撮っておけば良かったと思ったときは、後の祭りでした。
一緒に新湊へ出掛けて、白エビ、富山エビ、ブリ、ホタルイカ、スズキ、
スルメイカ、など、町中の美味しそうな店を探して買いだしてきました。
観光用のスポットでは、なかなか新鮮なものは手に入らないし、
あったとしても値段が高いので、生活者の中で買うのが一番です。
いずれも、あまりにも美味しくて、食べるのに夢中になってしまい、
写真を撮っておけば良かったと思ったときは、後の祭りでした。
久しぶりに泡盛を飲みながら話をしていたら、彼も今年で仕事を辞め、
その後は、母親がいる山口か小倉で暮らす予定だとのことです。
小倉を選択肢に入れているのは、どうやら競輪場があるからで、
彼は競輪が大好きで、大きなレースがあると日本中を飛び歩きます。
様々なギャンブルの中で、競輪はとても日本的なもののようで、
単に脚力や運動の力の問題ではなく、人間的な駆け引きがゲームを作り、
身体能力だけでは勝敗がわからないのが、面白いのだそうです。
今年で仕事を辞めるとしても、沖縄行きは例年通りに行くようなので、
さて今年はどんな予定にするか、泡盛を飲みながら話をしました。
沖縄と言えば、米軍の基地問題などが頭に浮かぶ人も多いでしょうが、
僕が毎年沖縄へ行く理由は、ひとえに珊瑚礁の海が好きだからです。
今はスキューバダイビングはやめて、もっぱらシュノーケリングですが、
珊瑚礁の海の魅力は、水深10メートルまでが面白いとわかっているから、
特にスキューバをやらなくても、充分に魅力を堪能できるのです。
今年は3.11の東日本震災後に大津波があって、復旧が大変ですが、
僕が好きな石垣島では、1771年に「明和の大津波」の記録があって、
最大85メートルの津波で、甚大な被害があったとのことです。
240年前の話なので、数字に誇張がある可能性も否定できませんが、
石垣島のあちこちには、そのとき打ち上げられた巨大な石が残っています。
平野の牧場の中にも、津波で上がったという家の如き巨岩があって、
以前は半信半疑でしたが、今年の津波の威力を見て信じるようになりました。
福島原発も、せめて40メートルの津波くらいは想定してほしかったけど、
経済性に合わせて、利益が出やすいように想定した津波のようですから、
そんなもの、想定内で収まるほど自然は柔にコントロールできません。
さらに沖縄の自然の威力は、そうした大きな事ばかりではないところでも、
例えば植物の生命力は、2年も放っておけばコンクリートも砕きますし、
アスファルトの道路なんか、数年で消えてなくなってしまうでしょう。
むしろ最初から自然のままに手を入れた道などが、いつまでもきれいです。
この写真の道は、今では牧場しか残っていない小さな島の道ですが、
ほんの100年前までは、こんな道路が当たり前だったのでしょう。
こうした道路の手入れなら、女こども老人でも朝夕に出来たでしょうし、
道路工事の専門家に頼らなくて良いので、町の共有意識も強かったでしょう。
実際に西表島の一部では、今でもそんな道路を大切にする地区もあって、
道の整備は老人たちの楽しみでもあり、彼らの貴重な収入にもなっています。
インフラだ何だと、地元から都市に吸い上げられることもないのです。
新しい未来が懐かしいものになるには、この双方の価値が練り合わされ、
地域の自然や環境に合わせて、新たな技術開発が必要になるでしょう。
便利なら良いのではなく、自立して持続可能な地域づくりが鍵になります。