震災後・復興の指針
東日本大震災復興構想会議の、議長代理である御厨貴さんが、
個人として、どのような復興構想を持っているのかを聞きました。
なかなか面白い視点で、今のところ共感できるものでしたので、
その内容を、簡単に紹介しておきたいと思います。
個人として、どのような復興構想を持っているのかを聞きました。
なかなか面白い視点で、今のところ共感できるものでしたので、
その内容を、簡単に紹介しておきたいと思います。
まず六十数年前の終戦後の復興を、戦後復興とするなら、
今回の東日本大震災後の復興は、震災後復興として捉え直し、
その違いを明確にするところから、今後を検討していきます。
戦後復興では、田中角栄の日本列島改造が象徴するように、
日本中を同じ都会化で、均一に復興したわけですが、
震災後復興では、各地域の特色を活かして多様に復興する。
こうした考え方の根底には、今回の震災で見えてきた、
あふれる物の豊かさが、実はそれほど余裕のあるものではない、
かなり危うい橋を渡っていたのだとの、気付きがあります。
日本中どこにいても、同じように何でも揃うと思っているのは、
見えないところで相当無理をしていた、と知ってしまったのだから、
これを今までと同じように、続けたいとは思わないのです。
まず御厨さんが注目したのが、関東大震災後の東京復興に、
多大な貢献をした、後藤新平のリーダーシップでした。
後藤は震災後の復興責任者として、様々なスタッフを自分で決め、
既存の政治利権から離れて、東京再生に人力を尽くして成功します。
しかし現代には、そんなリーダーシップを発揮できる人はいない。
そこで目を付けたのが、自主的にボランティアで動き出す、
若い人たちの、公共への貢献を実践する意識の広がりです。
こうした公共ボランティア精神は、神戸の震災で生まれ、
その後の若い人たちから共感を得て、日本中に広がりました。
政治家の利権争いのような政治に、無関心な若者でも、
公共心がないわけではなく、ボランティアなどで活躍する。
この力をうまく繋げて結集すれば、復興のビジョンにもできる。
御厨さんは、おおむねそんな感じの話をされていたのです。
生産物の豊かさから、人の心の豊かさへの転換であり、
こうした流れは、すでに若者を中心に広がっているものです。
実現するためには、中央集権的な右倣えのまちづくりではなく、
地域の特色に合わせた、個性的なまちづくりで自立して、
いくつもの地域が繋がり合うことで、力強い生活圏を作ることは、
持続可能な循環型社会の建設にも、マッチするものでしょう。
これは今のところ、御厨さんの構想でしかありませんが、
彼はまた福田政権時代の、麻生太郎さんが首相になる前に、
「吉田茂で始まった戦後政治は、麻生太郎で終わる」と予言し、
自民党ばかりか民主党にも、「何だかな」と思っていた人なのです。
この感覚こそ、僕らと同じ政治不信を抱えた悩ましさなので、
現状の政治とは切り離した形で、震災後復興をしたいと考える、
僕らや若い人の望みに叶うものだと言えるでしょう。
かつては東京が、新しい時代をリードしていましたが、
これからは地方の自立と個性化が、次の時代を具現化していく、
そんな期待を抱かせる、震災後復興になることを期待します。
大阪や名古屋の動きも、これを呼応しているとすれば、
やがて東京は、日本で最も遅れた地域になるのかも知れません。
もちろんそれは、何十年か先のことではありますが・・・