東日本大震災の復興、とは何か?

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震災後一ヶ月を過ぎて発足した、東日本大震災復興構想会議の議論が、
五百旗頭真(いおきべまこと・写真中央)防衛大学校長を議長に、始まりました。
菅首相は議論の対象から原発問題を外すよう指示した、とのことですが、
そんなことが許されるのかな?と思って見ていたら、やはり異論が相次ぎました。

哲学者でもある梅原猛特別顧問(写真左端)は、
原発問題を考えずには、この復興会議は意味がない」と発言。

原発事故の被害に苦しむ福島県佐藤雄平知事は、
原子力災害も皆さんに共有していただきたい。安全で安心でない原子力発電所はありえない」

秋田県出身の脚本家、内館牧子氏も、
地震津波原発事故という3本の柱で考えたい」と、
皆さん異口同音に、原発事故を抜きには考えられないことを主張されています。

それでなくても震災対応は縦割り会議の乱立で、原発事故の報告でさえ、
東電と政府と保安員と安全委員会が、バラバラな発表をしていることを、
多くの人は不信と不安を持って見ていたのですから、当然の主張でしょう。
この当たり前の感覚を、役所のイエスマンではない発言をしていただけたことで、
東日本大震災復興構想会議は、一定の信用を得たかも知れません。

さて、ここまでは新聞テレビのマスコミ情報でもわかることですが、
それでは何故、政府は原発問題に触れてほしくないかが重要になります。
自分たちが押し進めた原発推進政策が間違っていた、と言われたくないと同時に、
戦後のアメリカ支配から抜け出せない日本の事情に、触れられたくないのでしょう。
沖縄問題や制空権を見ても、日本は今でもアメリカの意向に添って政策決定するので、
政府と産業界の原発推進には、どんな意味があったのかを検証する必要がある。

日本では、1960年代から原発の商用運転が始まりますが、
1973年のオイルショックを経て、次世代エネルギーとして期待が高まり、
原子力の平和利用」が持て囃されて、日本中に新しい原発が建設されていきました。
僕は原発が象徴する管理社会に違和感を覚え、原発に反対し始めますが、
すでに社会は経済拡大へ向けてまっしぐらに走り始めていたので、
人間性を求める声は、無視されることが普通になり始めていたのです。

しかし、この時すでにドイツのE.F.シュマッハーは、
「Small is Beautiful」を出版して、原発のようなシステムを批判します。
これを機に、80年代には欧米で様々な市民活動が活発になって、
原発は好ましくない一つの選択肢として、認識されるようになってきます。
脱石油は原子力ではなく、自然エネルギーへと向かう流れが動き出していたのです。
それは単にエネルギーだけの問題ではなく、社会の在り方の問題として、
産業革命から目指した拡大生産、拡大消費に対するアンチテーゼだったのです。

元々日本には、自然を大切にして生きる暮らしが根付いていたのに、
政府と産業界は、自然環境を破壊してコンクリート漬けの都会化を進め、
これによって、経済利益を得るものと奪われるものを作りだしてきました。
日本中が都会化を進めて、自然環境が奪われて貧しくなり、
自然と共に自立して生きる人たちは、貧しさの中に追いやられていく。
しかし豊かさの原点は、自然の恵みの中からしか得ることが出来ないので、
気がつけば、この国は危うい綱渡りをする国に成り下がっていたのです。

こうした国策の是非を、あからさまにして国民に問うことが必要で、
そのためには、現状の消費拡大ではない国の在り方を示す必要もあります。
今回の原発災害は、この国の消費拡大は本当に適切なのかどうか?を検証し、
実際には数多くある将来社会の在り方を、どう選択していくかを問うための、
多大な犠牲を払った、二度と繰り返してはいけない機会と受け止めたいのです。

東日本大震災の復興とは、ただ元通りの危うい社会にするのではなく、
人間性を喪失させる拡大経済を見直して、人間復興の経済に方向を転換する。
慎ましく暮らす総ての人を含めて、幸せな経済とは何かを考えて選択する、
そのような機会と捕らえるとき、多大な犠牲者も報われると思うのです。