革命 VS 市民活動

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チェニジアでジャスミン革命として始まった、反独裁政権民主化運動は、
難しいと思われていた、エジプトのムバラク大統領を辞任に追い込み、
さらに安定した独裁国家と思われたリビアで、カダフィ政権を揺るがせています。
日本のマスコミでも連日、こうした国々の動向が伝えられているのですが、
その中でも印象的だったのが、軍隊が市民に軍事攻撃をするニュースでした。

軍隊というのはいつの時代でも、敵を破壊し殺戮するための武力組織ですが、
時代や地域によって、敵が何ものであるかの想定は大きく違ってきました。
それでも少なくとも、自国民を敵として軍事攻撃しないくらいの信頼はあった。
ところがリビアでは、あろう事か戦闘機やヘリコプターが市民を攻撃したのです。
いくら上官の命令でも、人としてよくそんなことが出来るものだと思ったら、
なるほどこうした軍人の多くは、他国から雇われた傭兵だったのです。

遠く離れた日本のテレビに映し出されるカダフィは、古い衣装に身を包み、
革命を戦い抜く!と叫んでいましたが、今の彼のどこが革命家なのか?
いつのまにか言語の意味は変わってしまい、革命や改革は保身用語となって、
人の言うことを聞かず、自分勝手に何でもすることを言うようになったようです。
そしてこの民主化運動は、さらに多くの独裁国家を揺るがせ始めているのです。

これらと時を同じくして、西アフリカのセネガルダカールでは、
全世界123カ国から3万人が参加して、世界社会フォーラムが開催されていました。
2月6日のオープニングマーチでは、ボリビアのモラレス大統領ほか、
ブラジルのルーラ前大統領、ベネズエラチャベス大統領なども参加して、
「もう一つの世界は可能だ!」をスローガンに行進をしたとのこと。
日本のマスコミ報道だけでは、唐突に起きたように見える民主化運動は、
中南米コチャバンバ合意などとも無関係ではなく、深く繋がっていたのです。

日本では相変わらず、強いリーダーシップを求める人が多いようですが、
目指す方向を間違えたリーダーシップが、どれほど危険なものかは、
ジャスミン革命に始まった民主化運動が、教えてくれているような気もします。
こうした市民運動が、革命に勝って国の体制まで変えていく原動力になれたのは、
市民の中に目指すものが明確にあり、強く繋がることが出来たからでしょう。

今の日本を動かしている思想には、まだ経済成長の残滓しかないので、
借金してでも経済成長したい?かの、不気味な亡者の様相を呈していますが、
まだ力弱い市民活動の中には、すでに新しい社会を見据えている人も多いのです。
未来社会は、一部のリーダーによる革命や改革でもたらされるのではなく、
まして軍事力や経済力でもたらされる物でさえなく、市民活動が変えていく。
今回の民主化運動の広がりは、そんな流れを垣間見せてくれたのです。