小林正弥教授の「白熱教室」

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今日は東京で、コチャバンバ合意の勉強会に参加するつもりでしたが、
強い寒波の到来で、積雪の状態が心配になったので取りやめました。
おかげで昨夜は、アジアカップ勝戦を最後まで見られましたし、
今日は小林正弥教授の「白熱教室」の、最終回を見ることができました。
彼の白熱教室は、今月4回あったようなのに気付いていなくて、
予定を中止して時間があいた今日気付いて、初めて見た次第です。

今回のテーマは「ウィキリークスを議論する」となっていましたから、
今の僕には、ちょうど関心の高いテーマだったと言えるでしょう。
前半は「途上国の貧しい人たちを救うべきかどうか」から始まって、
無縁社会と言われる世相を紹介しながら、個人の自立とコミュニティと、
どちらが優先されるか?を、学生たちの意見を聞きながら始まります。
僕は個人の自立を進めることが、コミュニティを損ねるとは思わないので、
これを対立軸とするのは、少し違うような気がして聞いていました。

小林教授からは、以前から公共哲学を通して教えをいただいており、
僕のように大学の関係者ではない者にも、対等に教えてくださるので、
二年前までは、直接対話型の勉強会にも参加していました。
ただやっぱり東京は遠いので、去年はスケジュールが一度も合わず、
今は公共哲学のMLで、情報をいただいているだけなのですが。
2007年には、沖縄からの帰りに東京でフィロソフィアに参加して、
そのとき小林教授と一緒に撮った写真は、ブログにも載せてあります。
http://blogs.yahoo.co.jp/isop18/49404901.html

したがって、彼がそれほど単純に話をする人ではないと思っていたら、
次に児童虐待を例に出して、子どもが虐待されている可能性があるときに、
勝手にガラスを破って家に入り込むのは、正義として許されるかどうか?
こんな感じで、法の正義と良心の正義の違いを浮き彫りにしていきます。
さらに調査捕鯨で鯨肉が横領されているのを暴こうとしたグリーンピースが、
違法進入して証拠物件を盗んだことは、許されるのかどうか?
どちらも正義のために違法行為をしたのに、学生の判断は違っており、
子どもを救うためになら、家宅へ違法侵入するのは合意が多いのに、
鯨肉の横領を暴くための違法侵入は、合意できない人が多いのはなぜなのか?

そこで学生から、法は目的から考える必要があるとの意見が出て、
一見違法に見える行為でも、その法律の目的を考えれば許される場合がある、
あるいは、法の下に公開制が保証されている必要がある、などの意見が出ます。
正義を行使するには、正しいか正しくないかを判断する材料が必要なので、
事態が公開されている必要がある、いわゆる情報公開の必要性を言うのです。
そこでようやくウィキリークスの場合が登場し、情報暴露に関して、
これは正義なのかどうか?と考えを進めていったのです。

例えば、戦争の内部で行われている不正を暴露することに関しては、
誰でもが同じように不正だと思えることを暴露するのだから、正義であり、
外交の機密を暴露するのは、それぞれの国でコミュニティルールが違うから、
違う価値観を持っている国家間の信頼を作る目的を持つ、外交に対して、
害を与える行為となるから、これは正義ではないと考えるわけです。
すなわち、共通のコミュニティルールを持つ内部告発は正義だけれど、
共通のルールを持っているとは限らない、外部コミュニティに対しては、
外側からの正義で介入することは、正義とは言えない場合が多いと言うのです。

さらに彼が指摘したのは、コミュニティ自体が時代と共に変わるので、
ある時代の多数派が、必ずしも正義とは言えないことがあることも自覚し、
独善に陥らない、違う価値観のコミュニティルールを受け入れる必要性でした。
そのためには物事を固定して考えないで、流動的に考えることが必要で、
これをダイナミック・コミュニタリズムと言っていたように思います。
違う価値観の存在を認めながら、情報公開して意見を練り上げていく態度は、
僕らが普段から、市民活動などで心がけていることでもあるので、
今回はあらためて、そうした態度の大切さを確認する授業となりました。