絶大なメディア魔力と、天地人

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新聞テレビのマスメディアが、特定の価値観に偏った報道で、
必ずしも真実を伝えるものではない、不都合なことは隠される、
そう思っている人は、今ではかなりの数になるでしょう。
経済重視の新聞は読む気がしないし、テレビはバラエティばかり、
情報の多くを、インターネットに頼っている人は増えているし、
テレビ番組も社会情報も、選択的に見る時代になりました。

それでも新聞テレビは、多くの人に関わる問題を取り上げるし、
田舎暮らしの僕らでも、無関係ではないから関心を持つのですが、
その報道が一方的で、特定の価値観に偏っているから疑問を感じる。
経済拡大を否定し、大量消費より人間の豊かさを追求することは、
スポンサー企業には不都合だし、メディア企業自体も困るでしょう。

強い情報発信力でばらまかれた経済重視の幻想は、ネットを駆けめぐり、
ネット上で取り扱われるときは、まるで“事実”のように扱われて、
幻想に対する批評がまた幻想として、限りなく増殖していく。
やがて僕らは、自分の五感よりもデジタル情報を重視するようになり、
生身の友人や恋人よりも、AKB48の誰かを本気で好きになる、
現実の社会生活が難しくなる人を、増やしているのかも知れません。

情報過剰な時代に暮らして、人間性を失わないにはどうするか?
個人の会話さえ、その内容の多くがメディア情報発となって、
自分が見聞きしたことよりも、メディア情報を優先して信用する。
この絶大なメディア情報の魔力を、封じられるものは何か?
そう考えたとき、出てきたのはやはり宇宙と大自然の実在でした。

情報が情報を産んで、限りなく膨張して幻想化していくと、
僕らは宇宙と大地との繋がりから引き離されて、疎外され始める。
便利さが悪いわけでもなければ、情報が間違っていなくても、
結果として人間性が疎外されるのは、大地や宇宙を見失うからです。
天地人の世界に繋がっている実感なしには、人は実在感を失い、
自らの存在までも、幻想的にしか実感できなくなるのです。

個人から始めて、なるべく小さな単位で自給自立を目指すのは、
実は単なる地産地消や、持続可能な社会に向かおうとするだけでなく、
人は人としての喜びを実感できる生き方を、必要としているからなのです。
魔力に溺れずに、道具を使いこなせる人間になれないのであれば、
優先すべきは、便利さでなく人間性であることを肝に銘じたいのです。