「静かなる旅人」

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10日ほど前に、友人から一冊の本が送られてきました。
何の前触れもなかったのですが、一筆便せんが同封されて、
「友人がこの本を翻訳出版したのですが、読んで読後感想を
ブログに載せていただけないでしょうか」と書いてありました。
そのときは、面白ければ書いてみようと思っただけで、
しばらくはテーブルの上に置いたままになっていました。
ところが数日たって、なにげなく読み始めてみたら面白くて、
夢中になって読み終えたので、感想を書いてみることにします。

本の題名は「静かなる旅人」で、著者はファビエンヌヴェルディエさん。
彼女は世界的に活躍するフランス人の画家ですが、たぶん僕の友人は、
画家が知り合いとは思われないので、翻訳者の野口園子さんの学友でしょう。
この本に関する彼のコメントは何もなかったので、読んでいるのかどうか?
送られてきた本を、僕に横流ししてくれただけなのかも知れないですが、
それも縁と思えば、この縁は今の僕に大きな喜びをもたらしました。
僕はこのところ、胡蘭成の「自然学」を学び直しているのですが、
そこに出てくる生命観は、西洋にはないものだと胡蘭成は言います。
それは違うような気がしながら、僕にはどう違うのか表現する素養がない。
ところがこのフランス人画家は、この疑問を解く鍵を与えてくれるのです。

彼女は1962年パリに生まれ、南フランスのトゥールーズ美術大学卒業後、
中国の絵画や書に関心を持って、姉妹都市協定を頼りに重慶に留学します。
ところが当時の重慶は、文化大革命によって伝統文化が破壊されており、
多くの文化人がその痛手から立ち直れていない、過酷な学習環境だったのです。
しかも生活程度は貧しく、留学先では始めての外国人だったために監視され、
一般学生には、彼女と話しをすることも許さない通達が出されている。
フランスでも貧しかった彼女ですが、重慶の生活はあまりに過酷で、
しかも学びたかった書画の伝統文化は、まともに教えてくれる教官もいない。
こんな状態から始まった留学生活に、彼女は10年も耐え抜いて卒業しますが、
この本では、その間に体験した様々な貴重なエピソードを交えながら、
さらに深く、彼女が一歩一歩積み重ねて得ていった芸術感が書かれている。

興味深いのは、彼女が絶望と闘いながら命がけで頑張っていると、
どこかで希望の何かが出現し、そこに縋ることで次が開けることでした。
この「何か」が出現しなければ、生きていることさえ困難だったろうと思われ、
しかも必ず助かるとは言えない状況で、ここまで頑張れたことが彼女の才能か?
と思わずにはいられないのですが、その意味を感じさせる出会いも訪れる。
地元の人たちと、少しずつ信頼関係を築いていく様子を読んでいると、
これは特別な才能と言うよりは、人間としての原点を求めた生き方であり、
その真摯さが、人間としての信頼関係を築いていったことがわかります。
東洋文化の真髄である、人と宇宙との一体感を体現しようとすれば、
人間としてどうあるべきかが、必ず問われてくる世界にのめり込んでいく。

ほとんど教えを請える人もいない中で、彼女が巡り会った黄原先生は、
彼女が求めていた中国の伝統文化を、幅広く教えてもらうことができた上に、
この先生を通して、彼女は多くの老師と呼べる人たちにも教えを請うていく。
文化大革命で恐ろしい体験をした文人たちは、なかなか心を開かないし、
すでに死んでいたり、廃人同様の人たちも多かったようですが、
この時期から彼女は交友関係を広め、絵画に影響を受ける人にも出会う。
僕も中国の文化大革命に関しては、何冊かの本や映画を通して知っていましたが、
この本を読んでいると、中国全土の片田舎まで爪痕を残しているのがわかるし、
いかに多くの文化人が絶望して死んでいったか、凄まじいまでにわかります。
そして逆に、どんな時代にあっても自らの信念を生き抜くには、
いかに深く真理を知って、何ものにも負けない信念が必要なのかもわかる。
この本は、そのように生きた人を紹介する意味が大きいのかも知れません。

さらにこの本では、単なる芸術文化の話しに留まらない生活が描かれて、
国の一人っ子政策のために、女の子が生まれると殺されることが多いことや、
犯罪者に対して見せしめ的な刑が、いまだに当たり前に行われていることなど、
さらに過酷な少数民族の扱われ方なども、さりげなく書き込まれています。
よくぞここまで!と驚くほど、彼女は中国の田舎をスケッチして歩きますが、
その命がけの旅は、そこで暮らす貧しい人たちの命がけの生活そのものでもあり、
長い歴史の中で培われた中国文化の真髄は、こうした生活と無関係ではない。
中国の文人の多くが、政治に関わることを疎んだ理由として黄先生は、
「政治に関わるということは、自分の理想を、妥協やまやかしにすり替えることだ」
「賢人哲学者のみが、社会を変えることができる。そして芸術家もその仲間に入る」
と言い切って、後に彼女が政府の役人として中国に戻ったときには激怒します。

ひとりの人間として、どのような人生を求めるかは様々ですが、
愚直に真摯に生きようとする人には、ある種の共通な直感が見受けられます。
それは宇宙観とでも言うような、文章には表現しがたいものであるが故に、
多くの人が、詩や絵画や音曲に委ねて表現しようと試みるのでしょうが、
これに成功するのに、なぜ多くの年月や辛苦が必要なのかを考えるとき、
芸術は人生そのもので、宇宙と人生の繋がりを感じる必要があるからだとわかる。
彼女は自分が到達した境地を次のように言います。
「画家自身が大自然の前では微細な存在にすぎず、
 自然の中では石や木もみな家族であり、
 自分も生き物の一部にすぎないのだと自覚したとき、
 画家もその精神の力で、
 無機質な墨に生命を吹き込むことができるのだ。」

卒業してフランスに帰国した後、彼女はフランス役人として中国再訪を果たし、
多くの人と再会しながら、過酷な環境の人に手を差し伸べ、やがて恋に落ちます。
役人となった彼女に対する黄先生の叱咤を、彼にも共感されたあと、
まるでなるべくして病に倒れ、役人としての生活にピリオドを打ちます。
この病から立ち直るきっかけも、彼女が好きな「書」だったのですが、
そこには以前と違って、生涯を共に過ごすことになる彼がおり、
黄先生と共にゆっくり療養をかねて暮らせる、静かな環境も用意されたのです。
10年もの過酷な留学生活で彼女が得たものは、芸術の真髄と共に、
賭の代償として差し出すしかなかった、体の健康だったのかも知れません。

そののち彼女は彼と結婚して、子を産み、人里離れた田舎暮らしをしながら、
創作活動に没頭して、数多くの優れた作品を発表するようになったようです。
真に芸術家の人生とは、このようなものなのだろうと納得すると同時に、
凡人である自分も、等しく宇宙の一員として自然に向かっていることを、
感謝すると共に、これからの人生に対しても明るい希望を抱くのです。
西洋も東洋もなく、人類には同じ宇宙観が備わっているから文化があり、
どんな苦境と思えるときも、自然を見失わない限り豊かに生きられるのです。
 
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