「ハート・ロッカー」

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昨年のアカデミー賞で、作品賞、監督賞、脚本賞など、
最多6部門賞を受賞したほか、全米映画批評家協会賞、
英国アカデミー賞ゴールデングローブ賞、等々、
世界中で100以上の賞を受賞した、大ヒット映画です。

日本でも去年の3月には公開されていたのですが、
配給会社が小さかったのか、近くでは上映されなかったので、
見られないまま、ロードショウが終わっていたものです。
戦争映画が好きではないので、観なかったとも言えますが、
今回ようやくレンタルで観て、やはり優れた映画だと思いました。

内容そのほかについては、もう書くことはないと思いますが、
僕が一番印象的だったのは、この戦場に漂う虚無感です。
映画は、爆発物処理を請け負う、三人一組のチームを追いますが、
なんとか無事に、任務期間を生き延びたい男たちの中に、
ほとんど命知らずの処理をする、新しいリーダーがやってくる。

次々に難しい事態を処理する、この男の優れた処理能力は、
しかしどこか、人間感覚が逸脱しているようにも見える。
同僚の二人は、彼のあまりに命知らずの行動に不安になるけど、
リーダーは淡々と、命がけの仕事をこなしていく。
やがて観ている僕は、これが戦場であることを忘れて、
何か危険な「仕事」を応援するような気持ちになってしまう。

実際にこうした特殊な仕事は、請負会社がやるとも聞きますから、
彼らにとっては、戦争と言うよりも命がけの職場になるのでしょう。
つまりは収入のために、命がけで仕事をしているのです。
リーダーには家族もいて、家族を大切に思っているようですが、
心は家族と共にあらず、戦場の危険物と隣り合わせにいる。
ここには国家の栄誉とか、敵と戦う高揚感などではなく、
ただ危険と隣り合わせで仕事をする、プロフェッショナルがある。

ここで問われているのは、いったい現代の戦争とは何なのか?
国と国との戦争でさえない、誰が敵かもわからない中で、
ひたすら自分の役目をこなしていく、死と隣り合わせの男たち。
今や戦争そのものが、資源を奪うビジネスの延長であれば、
戦場で命を掛ける戦士も、ビジネスマンでしかないのでしょう。

戦争の当事者だからこそ感じる、栄誉のないむなしさに比べ、
米軍を手伝いに行った日本の自衛官が、駆け付け参戦を唱えた、
このお粗末な男が、国会議員になってしまう日本も虚しい。
こんな男を、国会議員として公認している自民党では、
民主党がいかにひ弱でも、二度と政権について欲しくない。
この国が貧しいのは、政治の貧困によるものかと思うのです。
 
 
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