真の豊かさへ!

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このブログでは何年もに渡り、様々な提言をしてきましたが、
そもそも今の社会で何が問題なのか、簡単にまとめておきます。
まず最大の問題は、20世紀に多くの国々が求めた豊かさで、
特に60年代~70年代に掛けて見えてきた、成長の限界です。
いわゆるオイルショックから、資源を無制限に使う開発では、
遠くない将来に資源枯渇が起きるとして、奪い合うようになる。

そこで80年代にはいると、いくつかの国では新しい試みとして、
循環型社会の構築が、将来へ向けての課題として登場します。
北欧やドイツなどで始まった、脱オイル、脱原発などの運動から、
環境保護が大きな政治課題として登場し、無視できなくなりました。
だけど日米は、アメリカ型の豊かさのモデルから脱却できずに、
これを奪い合うことで、世界中に貧富の差を拡大してきました。
それでも90年代には、アメリカでさえ経済のひづみが問題になる。

様々な巨大資本が、社会正義に反するような行為で金儲けをし、
それを巧妙に隠しながら、世界中に貧困をばらまいていたと判明する。
しかし新たに始まった情報公開の波で、市民活動が盛んになると、
巨大企業のグローバリズムは糾弾され、政府の不正も暴かれていく。
こうした流れから、NGOやNPOが活躍するようになると、
21世紀には、新しい社会秩序と豊かさへの挑戦は始まりますが、
まもなくNY911事件によって、新しい形の戦争へと吸収されます。

それは旧時代に見られた国家間の戦争ではなく、世界中の国々の中で、
自分だけがいい思いをしたい権力と、みんなの幸せを願う勢力との、
まったく新しい形での、市民闘争としての変革の始まりでした。
以前なら市民も喜んだ、大国首脳による世界経済の調整作業さえ、
強権力によって市民を弾圧する、利権者同士の調整作業だと暴露され、
市民の市民による市民のための政治が、あらためて問われたのです。

そこで出てきた、まったく新しい価値観からの提言によれば、
合理的な経済成長こそが問題の原因として、脱拡大経済を唱えます。
人は物ばかりによって幸せになるわけではない、そうわかっていれば、
無制限に物やおカネを求めるのではなく、次の段階を求めるべきで、
資源の枯渇が見えてきた今は、その転換の時期だと考えるのです。
今後もアメリカ型の豊かさを求めれば、地球生命は破滅するしかない、
この事実を認識して、まず食とエネルギーを循環型に改めるのです。

こうした試みに対して、いまだにおカネがないと出来ないと思い込み、
まずは先立つものを稼ごうとして、おカネ経済を重視する人がいますが、
おカネに縛られている限り、いつまでたっても何も出来ないでしょう。
日本政府はおカネで福祉を充実させようとして、借金を繰り返し、
その借金を経済拡大で取り戻そうとして、さらに借金を増やします。
何でもおカネで考える限り、おカネの問題はいつまでも解決しません。
この問題を解決するには、脱おカネとして考える必要があるのです。

今日の写真は、八尾の山中で暮らす石黒家へ向かう途中のものですが、
雪深くに暮らす彼ら家族が住む家には、電気もガスも電話もありません。
それでも家族が助け合って暮らす姿には、都会よりも安心感があって、
人間を幸せにする営みとは何かを、改めて考えるよすがとなります。
毎度のことですが、電気やガスが要らないと言っているのではありません。
まず人にとって何が幸せで、何が不幸の原因かを考えることによって、
経済拡大よりも、自然界の循環を大切にすることが大切だと知り、
勝ち組になるより、みんなで助け合う社会を目指せばいいと知るのです。

便利な暮らしが悪いのではなく、利便性のために人間性が蔑ろにされる、
その方向性が間違っているのですから、これを改めればいいのです。
人間性を萎縮させるような利便性ではなく、人間の能力を手助けして、
五感や五体の自由度を押し広げるような開発が、進められるべきで、
そのときでさえ、合理的であるよりも人間性が重視されるべきでしょう。
未来に広げる真の豊かさは、そのような考えに根ざしたものであるべきです。