「ノルウェイの森」

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 村上春樹の、世界的ベストセラーである「ノルウェーの森」を、イメージ 1
今注目される若手監督の一人、トラン・ユン監督(写真)によって、
映画化されたと知って、やっぱり期待して見に行きました。
見始めてすぐに、計算され尽くした画面の構成や美しさに驚いて、
絵に人を配したかの風景が、静かに移動するシーンに見入ってしまう。

切り取られた学生生活を軸にしながら、唐突に過去や未来に飛ぶ、
そんな手法で物語が進んでいくのですが、さほど違和感はなく、
フラッシュする映像が、必要最低限の説明をイメージとして助けている。
出てくる話の内容は、セックスにまつわるものが多くあって、
濡れるとか濡れないとか、痛くて出来ないとかあからさまな言葉が、
ほとんど常に飛び交うのは、それがテーマでもあるからでしょう。

テーマに関することは、原作を読んでいればわかるのでしょうが、
実はぼくは、この日本最大のベストセラーを読んでいません。
あまりにも多くの人が読んでいるものは、読まなくていい気がして、
そのままずっと、忘れてしまっていた小説でもあったのです。
だからこの映画を見て、ぼくは初めて作品のテーマを知ったのです。

主人公(わたなべ)の周りに登場する、直子、レイコ、緑、ハツミを、
ユン監督はそれぞれ個性的に描きわけながら、謎めいてもいる。
一人の青年が様々な女性と関わりながら、人間として成長していく、
いわゆる青春物語のようでもあるのですが、それだけでも収まらない。
性を抜きには有り得ない、人間の不安定な本質に深く関わりながら、
命と性の分けがたい関係を、愛まで絡めて表現しようと試みる。

いや、作品テーマのことは、やっぱり小説の評に任せましょう。
もう一度この作品を、純粋に一本の映画として見たとき、
配役やロケーション、緻密に計算された画面やカットの編集が、
映画としての可能性と面白味を、存分に味わわせてくれていました。
色調や明暗まで計算された映像と音と、無駄のないフラッシュバック。

あえて言えば、この作品では女性の心は常に物語の外側にあって、
ワタナベは誰一人として、女性と心が通じ合っていないように見える。
架空のぼくであるワタナベは、良くも悪くも女性と距離を持ったまま、
誰一人として、本当に愛することが出来ないでいるようにも見える。
そして僕は思いだしてしまったのです、村上龍村上春樹を読んだとき、
春樹の気取った態度を好きになれず、龍の愛撫を好きになったことを。