「いのちづな」

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~うちなる“自死者”と生きる~
と銘打った、亜久津歩詩集を読みました。
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Ⅰ:まっすぐ言う
Ⅱ:日常
Ⅲ:位置について、用意
Ⅳ:こころのよはく
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この4パートに分かれているのですが、
「まっすぐ言う」を読み出すと、うっとうしくて、
なるほど自死を考える人は、かくあるのか!
と妙な納得をしたのも事実です。

それが「日常」になって、様子が変わり始め、
日々の暮らしの中での、母親との関わりや、
家の中で買っている、2匹の犬を観察する視点から、
少しずつ明るさが見えてきて、安心して読める。
Ⅰでは、過去にばかりしがみついていたのが、
Ⅱでは、現在をそのまま受け入れ始めているのです。

そして「位置について、用意」では、
強くて肯定的な感覚が、前面に出てきます。
現状は何も変わらなくても、視点が変わるだけで、
そこに力強い肯定感が満ちてくる、その感覚が、
読んでいる人を、おおらかな安心感に導いてくれる。

「簡潔な好意」の結びで、
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 どんな声援より
 あまいセリフよりも
 黙って そばにいてくれるきみが

 すきだ
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と書いたとき、この人はもう自殺はしないとわかり、
生きることの喜びが、伝わってくるのです。

幸せはいつだって、目の前にあったとしても、
心の目がそれを見えなくしていれば、存在はしない。
見つけたのは「退屈な幸福」であったり、
踏ん張る土と空さえあれば、何度でもやり直せる!
そう感じる、無防備なほどの幸福感でもある。

ここで少し心配になるのは、この無防備さで、
鬱(ウツ)が躁(ソウ)になっただけの躁鬱なのか?
と思わないでもなかったのですが、そうではない。
「こころのよはく」の中で、この人が見つけたものは、
妹の出産による、新しい命との出会いだったのです。

ⅠとⅣの対比を見ていると、同じ人なのに、
よくぞここまで変われるものだと思うと同時に、
命の誕生がもつ、あらゆるものを凌駕する力を感じます。
そしてこの「いのちづな」と言う題名は、
まだ見ぬ新しい命に対する、繋がりを求めている。
未来への関わりによって、救われているのです。

僕らはいつだって、未来と関わることによって、
今を全力で生きることが出来るのでしょう!
そんなことを思わせてくれる詩集でした。
 

亜久津歩詩集「いのちづな」は、↓こちらから。
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