高齢者が手助けする心を

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強く勇ましい人たちに意見するのは、骨の折れることで、
多数者からの反論を受けるのは、それだけで疲れるものです。
このところ、様々な市民活動に参加していて心配なのは、
特に田舎の場合、高齢者が若い人より圧倒的に多いために、
若い人は自分の意見が通らず、やがて参加しなくなる現象です。

高齢者が意見を言うことが、悪いわけではないのですが、
どの集まりに出席しても、60代の人が一番多いのですから、
彼らの価値判断による意見が、どうしても通ってしまう。
その価値判断が、旧態然としたものである場合には、
若い人たちが自然と離れていってしまうのは、やむを得ない。

しかも今や、60代70代の人たちが経済的に余裕があり、
体力では負けない20代30代の人たちは、生活に追われている。
この状態で、地域社会の将来をどうするかを考えるような場合、
誰かが、新しい人たちの意見を強く代弁していかないと、
いつまで経っても何も変わらない、閉塞社会になってしまう。

それでは高齢者は遠慮して黙れ!と言うのかと言えば、そうではなく、
新しい時代に合う、手助けの心を持っていただけたら!と願うのです。

そのために、時間に余裕のある高齢の方々に担って欲しいのは、
過去を学んで懐かしむばかりではなく、未来にも目を向けて、
新しい思想や考え方を、積極的に汲み取って意見していただきたい。
それでなくてもこれから新しい社会は、拡大生産は無理があり、
持続可能な循環型社会に向けて、方向転換する必要があるのです。
この新しい方向性は、幸いなことに日本の高齢者には覚えがある。

50年~60年前の日本の経済は、まだ自給自足的なもので、
人々は助け合って暮らし、それでも幸せは存在したのです。
と言っても、そこに克服すべき多くの問題があったのも確かで、
そのために人々は努力し、苦労して豊かな社会を築いたのですが、
今では明らかにその弊害が顕在化して、新たな困難が生まれている。
この困難を克服するには、今までの発想では立ち行かないのです。

そこで大切なのは、この半世紀の間に何がどうなったのか?を検証し、
良かった部分に生まれた弊害を正しく理解して、方向転換することです。
こうしたことは、若い人が新たに50年を学んで検証するよりも、
すでに知っている高齢の方々が、手助けの心で考えていただきたい。
手助けの心とは、自分が正しいと思い込んでいては出来ないので、
もう一度謙虚に、何が正しかわからない状態にもどっていただいて、
若く新しい人たちの利益を最優先に、未来を求めて欲しいのです。

有難いことに、様々な新しい技術は進んでいるのですから、
新しい循環型社会は、半世紀前の田舎暮らしとは違うものになる。
地域での助け合い社会だからと言って、昔の閉じられた田舎ではなく、
当時の良いところを活かし、悪いところを新しい技術で克服すれば、
環境破壊型の拡大経済社会ではない、豊かな自然を活かした、
持続可能な里山社会を建設することは、すでに可能な時代なのです。

数の多い高齢者の人たちが、自分たちの利益に固執してしまえば、
やがて自分たちを支える社会そのものが、弱体化してしまうでしょう。
そうではなく、未来を担う若い人たちを手助けすることによって、
安心できる豊かな地域社会が出来ることを、今一度考えていただきたい。
まだしばらくは、数の多いあなた方が社会を方向付けていくのですから・・・
 

※ 写真は自分の右手ですが、右手を左手で撮ったために、
手首あたりを中心に、だいぶ無理をしてねじったシワがありますね!(^_^;)