執着ではない愛の時代へ

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「宇宙の最高法則は愛である」
そう説き続けたのは、小さな宇宙人のアミでした。
ところがこの「愛」とは何かが、永遠の謎だったりする。
自分の子どもの頃の記憶で、プライベートなことを除いて、
最もよく覚えているのは、初めての衛星放送の日。
アメリカとイギリスから届いた、生放送のテレビ映像は、
ケネディの暗殺と、ビートルズの「All you need is Love」。
それ以来僕は、ビートルズの大ファンとなって、
特にジョン・レノンの発言には大きく影響されていく。

「愛こそはすべて」の「愛」とは何か?
ジョンの多くの歌詞から、それを学んでいったのですが。
例えば「イマジン」の歌詞にあるような愛の世界は、
あまりにも現実から遠く、繋がりがうまく見えませんでした。
理想としては思い描いても、現実の暮らしはまた別物で、
その間を繋ぐものが見えなくて、旅の暮らしを続けていた。
愛を求めて、だけど僕が具体的に見ようとした愛の姿は、
何にも縛られない、自由な愛としてのセックスと、
愛にほど遠く見えた、現実社会の拒否だったのかも。

マネー経済信仰の20世紀後半が終わり、
最後に教訓としてのNY911事件を残した社会は、
破壊的な大量消費社会から、循環型社会へと大転換する。
そこで多くの人々は、新しい社会のモデルを求めるのですが、
世界はいまだに、大量生産思想を凌駕できないでいる。
それでは、新しい思想は何も見えていないのかと言えば、
たかがこの百年ではなく、千年二千年の単位で見れば、
過剰なものに溢れた生活ではない、心の豊かな生活が見える。
その根底にあるものこそ「愛」なのだと感じている。

膨大な情報量とスピードに満ちた時代に、
源氏物語を学ぼうと思ったのも、この繋がりでした。
新しい時代は、今までの時代と無関係に生まれるのではい。
とすれば、さらに大きな年月に目を向けて見ることで、
百年単位では見えなかったものが、見えてくる可能性がある。
さいわい日本には、多くの古典文書が残っており、
その解読や勉強会も、有難いことに盛んに行われている。
何が人間の喜怒哀楽を、大きく揺さぶり続けたかが、
僕らは比較的容易に、知ることが出来る環境にいるのです。

その根元にあるのは、何よりも男女の愛、
親子の愛であり、さらには先祖子孫への思いなのです。
だからこそ日本人は、宗教を問わずお彼岸やお盆を大切にし、
仏壇に手を合わせ、津々浦々に神社仏閣が必ずある。
一人の女性を愛することは、先祖子孫に思いを馳せて、
彼女がそこにいる奇跡の世界に、驚きを持って接すること。
政治経済がどうあろうと、これが日本人の思想だから、
千代に八千代に細石の巌となりて、苔のむすまで!となる。
愛の理想社会とは、その姿をより明確にするもの。

男性的幻想や執着過剰の時代を乗り越えるには、
まずその、乗り越えるべきものの正体を知る必要がある。
例えば今や女性の処女性を求める男はいないとしても、
女性に対して、男性と同じ快感を求める人は依然として多い。
これも情報過多の産物で、実際に愛する人と話し合えば、
離婚理由の一因となるセックスレスでさえ、実際には、
ただ優しく抱きしめて欲しいだけの、理由だったりするのです。
愛するとは何か?を、外から仕入れた知識への執着ではなく、
愛する人とのコミュニケーションの中から身につけたい。

言うは安く行うは難いとしても、これが真実だから、
新しい時代に向けて、古い執着を脱ぎ捨てる必要がある。
古い執着の上に新しい上着を着ても、暑くなれば脱ぎ捨てて、
いつのまにかまた、古い執着に戻るのでは意味がない。
まず古い執着を脱ぎ捨てて、それから新しい装いをすることで、
僕らは必ず、新しい時代を生きる人になることが出来る。
誰かを愛し、その人と心を開いて話し合うことが、
世界を平和にし、地上を美しい世界にする一歩だと、
気付かせてくれたのが、あなただったのです。