石黒家の自然農畑

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少々用事もあったので、八尾の石黒家まで行ってきました。
石黒さんから、「生き方としての自然農」を聞いたのは2002年で、
ブッシュが全世界に向けて「戦争だ~!」と叫んで動き出したとき、
僕はその扇動に乗らない生き方を、求め始めたときでもあったのです。

それ以来8年、まみあな活動、平和映画祭、市民の政治参画など、
様々なことをしてきましたが、そのバックボーンとなったのが、
やっぱりこの「生き方としての自然農」だったと思います。
有機農法と何が違うのか?、同じだろうと思う人は多いのですが、
僕らの自然農はそもそも農法ではなく、生き方としての有り様であり、
一見すれば、有機農法と同じことをしている時があるとしても、
目指しているものが違うことは、すでに何度も書いたとおりです。

有機農法の目指すところが、集約農法と同じ大量生産であって、
その手法として、化学肥料や農薬を使わずにおこうとするのですが、
多収入を目指して多収穫するための農業なので、不自然な事態が起きる。
例えば有機肥料であっても、やりすぎれば自然のバランスが崩れ、
そのバランスを取り戻すために、またよけいな負荷を掛けることになる。
このよけいな負荷が、その土地本来の豊かさを損ねてしまうので、
長い期間には、土は自然のバランスを失ってしまうと考えるのです。

そこで僕らは、自然はどうあるべきか、人はどうあればいいのかを、
実際に自然と向き合うことで、自然界から学びながら考えます。
人は「命を食べて生きる」生き物ですから、まずこの命の世界を大切に、
命の世界が健康であるとは、どのような状態かを考えたときに、
様々な命が循環する世界を損ねないように、作物を作る大切さを知り、
「耕さない、草や虫を敵としない」ことの意味に辿り着くのです。
これがわかれば、あとは自然界との対話で学んでいけます。

自然農を始めて8年を過ぎ、ある程度は僕も身につけてきましたが、
いかんせん一人暮らしなので、共に暮らす相手がいない弱味があります。
そこでいくつか自然農グループに参加したり、自分で作ったりして、
仲間づくりによって、孤独に陥らないようにしているのですが、
石黒家のように、何人もの家族によって自然農的暮らしをされていると、
単なる仲間以上の人間の在り方も見えてくるので、惹かれるのです。
そしてまあ、時々は僕の癒しの場として、遊びに行きたくなるのです。

僕はずっと、石黒家の棚田の写真を携帯の待ち受けにしていますが、
今日の写真は田んぼではなく畑の様子で、美しい緑が広がっています。
新しくサンタの森の自然農に参加してきた、20代の女性を連れて、
石黒家におじゃまして、完二さんに畑の説明と自然農話をしてもらい、
いつものようにご飯をご馳走になって、子どもと遊んで帰ってきました。
彼女のような若い世代には、今ある破壊的な経済成長優先ではなく、
命の世界を大切にする、新しい豊かさを覚えて欲しいと願っています。