悪魔軍の醜悪爪痕

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                  (散らばっているのは、人間の焼け焦げた死体です)
 
なにやらSFめいた表題になってしまいましたが、
アメリカ軍が現実に行っていることをどう表現するか?
考えていたら、こんな表現になってしまいました。

昨夜の報道ステーションで、アフガニスタンの被曝の様子を、
現地からの映像と共に紹介された、西谷文和さんは、
東京平和映画祭でも講演していただいた、信頼できる人物です。
彼が紹介する、アメリカ軍の爪痕をどう受け止めればいいのか?
こんなものが「正義の戦い」なら、正義なんて糞っ喰らえ!です。

第二次世界大戦から現代の戦争までに、何がどう変わったのか?
人間を破壊し、自然を殺戮し、神々を引き裂いて泥を塗る、
そうした能力が格段に高まった軍事力は、経済を食い物にして、
結末を正視できないような、悲惨な状況をまき散らしている。
その最前線が、イラクからアフガニスタンに移っているのです。

例えば劣化ウラン弾の被害が、どれほど悲惨なものかは、
すでに日本が唯一の被爆国だなんて、言っていられない状況で、
どんな自体が起きているかを見たければ、ネット検索で見られます。
そのあまりの惨状は、僕のブログに写真アップを憚られるので、
ここに載せた写真は、イラク戦場で散乱したイラク人の死体です。

この黒焦げ死体たちは、放置されているあいだに萎縮したそうで、
広島以来、被曝して亡くなった人たちに共通して見られるとか。
さらにこうした被曝意識は、アメリカ軍の前線兵士には教えられず、
彼らは戦場で無事に生き延びたとしても、帰国後に傷害に悩まされる。
癌や遺伝子傷害を持つヒバクシャが、大量に生まれているのです。

さらに言えば、僕らが耳にする戦争語り部のお話などでは、
人間と人間の肉弾戦による、情念が向き合う悲惨さがあるのですが、
遠隔操作で飛ぶ無人機による爆撃や、劣化ウラン弾による被曝など、
現代戦では敵が見えないまま、日常生活が破壊されているのです。
これはもう「戦争」でさえなく、「魔獣の蹂躙」と言うべきでしょう。

アフガンで米軍がやっている、利権確保のための市民蹂躙は、
決して市民のためではないことは、中村医師も明言されていました。
中村医師が建設中の用水路は、米軍の横やりで中断の危機があり、
それを救ったのは、現地住民数百人の命がけの団結だったとのこと。
その地に大きな利権がないことも、悪魔を退ける幸運だったでしょう。

日本人として僕らは、多額の「みかじめ料」を米軍に支払うことで、
悪魔の嫌がらせも少なくて済んでいるのが、安保の実用性なのでしょう。
しかしこのみかじめ料をもらったヤクザな悪魔が、我が物顔に、
イラクやアフガンで、悲惨なヒバクシャを増やし続けていると知れば、
自分たちが虐められなければいい!とは言えない、胸苦しさを覚えます。

いまだに、個人レベルでさえ、武器を持って身を守るのが当然とする、
あまりにも野蛮で意識の遅れたヤクザが、軍事力で世界中を押さえ、
カネのある国からみかじめ料をとって、保護者面をしているわけです。
僕らは沖縄を、あるいは日本を、さらなる被曝から守るために、
ヤクザの若頭を接待して、ご機嫌を取るしかないのでしょうか?

実は僕は、もうそうは思っていないのです。
なるべく小さな地域で、食とエネルギーを自給自立させ、
違う思想考えの人たちとも、循環共生して生きれば、
巨大軍事が成り立つ大きな利権も、大規模環境破壊も起きない。
貧富の差が起きる原因もない、和の社会が可能なのです。

いつか僕が生きているうちに、
日本の政治にもそうした変化が起きますよう、
今はコツコツと自分を生きていきましょう。